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目標は“誰からも必要とされる人材”になること。数々の失敗を乗り越え「30歳までに社長になる!」という夢を実現

宮本 悠加さん 30代 代表取締役社長
株式会社glamfirst

1985年生まれ。大学卒業後、新卒で大手出版社に入社。新規事業部に配属となり、ファッション関連事業の営業に従事。2011年に株式会社サイバーエージェントに入社すると同時に株式会社サイバー・バズに出向。トップの営業成績で、営業局長に昇進。2016年、インスタグラムを活用したマーケティング支援事業で株式会社glamfirstをサイバー・バズの子会社として立ち上げ、代表取締役に就任。現在に至る。

幼い頃から「社長になる!」という目標を掲げ、邁進してきた宮本さん。数々の失敗や挫折から貪欲に学び、あらゆることを吸収して力を蓄えてきました。株式会社サイバー・バズでキャリアが開花し、営業局長に就任。さらに上を目指し、ついにグループ会社の社長に。決して諦めないポジティブな宮本さんにサクセス・ストーリーを伺いました。

30歳になったら起業する!
自分の子どもを育てあげられる資金力、生きていく力を身に付けたい

ー新卒時に大手出版社に入社されていますが、会社を決めた経緯を教えていただけますか?

宮本:学生時代から「30歳までに社長になりたい」と思っていたので、起業に結びつく様々なノウハウを学びたいと思って大手出版社に決めました。第一希望の会社に入ることを熱望していたので、他の会社には目もくれませんでした(笑)。

おそらく、私の社長願望は家族の影響です。小さい頃から自営業の父親の背中を見て育ちました。だから、社長になりたいというのは私にとっては決して突飛なことではなく、自然なことなのです。

それと私の弟が体調を崩してしまったことがあったのですが、病院にかかるお金も大変なものでした。弟のために頑張って働く両親を見て、自分が子どもを持ったとき、何があってもきちんと育てられるように、家族が生きていけるお金を稼ぐための力を身に着けたいとも思っていたのです。

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『下北新聞』を毎日書いては、配って回った新規開拓営業時代

ーそういう経緯があったんですね。入社されたあと、最初に配属されたのは新規事業だったそうですが、仕事はいかがでしたか?

宮本:ファッション系情報誌の新規事業に営業として配属されました。事業部は15名くらいで、そのうち営業が10名ほどでした。私は下北沢地域の担当になり、大手から個人経営までアパレル関係の会社を幅広く回り、飛び込み営業もしました。かなり忙しくて、帰りは終電間際になる日もありましたが、とても楽しかったです。その上、遊びも欠かさず、思いっきり楽しんでいて……本当に毎日充実していました(笑)。

その事業部には約4年いましたが、成果としては普通レベルに到達できたかどうか微妙なラインで……。でも、数字とは裏腹にひとつ仕事を覚えるたびにモチベーションが上がり、充実感がありました。

もしかすると、クライアント様と消費者の「出会いを作る」というスローガンが私の心に刺さっていたからかもしれません。「私も女の子たちにハッピーを提供していきたい!」と思って、一生懸命仕事に取り組んでいたんです。

ただ、いくらスローガンに共感していても、当時の私には営業スキルが足りていませんでした。商品が1つも売れない月もあって、自分の中のイメージと現実とのギャップに強いジレンマがありました。それでも、ジレンマと闘いながら営業の仕事を頑張ったおかげで、お客様の心を掴むためのコミュニケーション能力が高まったのだと思います。

ー飛び込み営業もされていた中で、どんな風にクライアントの心を掴んだのでしょうか?

宮本:新規事業という事で当時としてはとても珍しい商品を売っていた事もあり、なかなか理解してもらえずに、とにかく何度もお客様のところに足を運びましたね。お客様の要望を叶え、痒いところに手が届く人になりたいと考えて行動していました。

当時は毎日「下北沢新聞」というものを作っていたんですよ。今思えば、webの時代に何て効率の悪いことをやっていたんだろう(笑)。でも今、情報提供メールなどでマメにコンタクトを取ることができるのは、この頃の経験があってこそ。そういう部分がすごく鍛えられたと思います。

ーなるほど。地道な積み重ねが今に繋がっていると。仕事の環境はいかがでしたか?

宮本:上司には恵まれていたと思います。事業部の売り上げが悪くて、上司はかなり上から怒られていたと思うのですが、私たち部下にはそんなそぶりを見せない方だったんです。全力で私達メンバーを守り続けてくれて……。今でも人生の危機にあえば絶対に相談したい人です。その上司がいてくれたからこそ、頑張れたと思います。

ーまさに理想の上司ですね!大手企業で過ごした5年間で、社長になるための学びはありましたか?

宮本:社会人としてのイロハはしっかりと学ばせてもらえたと思います。その頃の事業部は一度方針を決めても、それが1カ月後には変更される事も多々ありました。今なら会社の選択が正しかったことを理解できるのですが、当時の私には理解できなくて、言われるがままに行動することに違和感があったんです。

だから、「もっと社内で発言権のある人になりたい!」と、思うようになりました。そして、ただ漠然と「社長になりたい」というだけでなく、「自分はもっとこうなりたい」という具体的な未来像が描けるようになりました。

UP話しているところ(加工済み)

他の営業マンの提案資料・メール・トークを分析し、高速PDCAを回し続けた

ー大手出版社からサイバーエージェントに職場を変えられましたが、これにはどのような思いがあったのでしょう。

宮本:約4年間上司にも恵まれ、すごくやりがいのある仕事をさせて頂いていたのですが、幼いころから夢見た社長になるには、もっと経営について学ぶ必要があると感じるようになりました。だから、今度は環境を変えてベンチャー企業で経験を積みたいと思って。ベンチャーの方が頑張れば、経営陣とより近くなれるのではないかとも考えました。

ー新しい会社でのお仕事はいかがでしたか?

宮本:入社してすぐ、サイバー・バズに出向になって、営業としての生活が再びスタートしました。でも、半年くらい先輩について仕事をして、私個人の成果は全然。このままではいけないと思って、まずは自分の強みを探し、セルフブランディングをすることにしました。

出向先ではコスメや日用品を多く扱っていたので、まずはコスメの薬事に関する免許を取得して、「宮本はコスメ関連に強い!」というイメージを作りました。そして優秀な先輩について、仕事の仕方をしっかりと学ばせて頂きました。

でも、最初の1年くらいは全然ダメで、ミスをしてお客様に怒られたり、「営業担当を変えてください」と言われたりというマイナスな出来事ばかりあったんです。ものすごく悔しかったので何が駄目だったのか、同じようなミスをしないためにやるべきことは……などかなり考えました。当時はまだweb業界、メディアの知識もなかったので、一生懸命勉強して踏ん張っていました。

ー具体的にはどのような勉強をしていたのですか?

宮本:営業時に先輩のトークを録音して、どんなときにクライアントがいい反応を示したかとか自分なりに分析をしていました。また、先輩や同僚の営業メールの言い回し・表現をチェックしたり、共有された他の人の営業資料を持ち帰って週末に家で見比べてみたりしましたね。

ー高速PDCAでフル回転という感じですね。

宮本:それほどでもないですよ(笑)。ただ、私の場合はどんなに失敗しても、落ち込んでやる気が出ないということはなかったです。自分で選んで入った会社ですし、社長になるという明確な目標があったし、とにかく早く会社の中で必要とされる人材になりたくて必死だったんです。

マネージャーから局長へ
後輩の育成を経験して知った、先輩たちのありがたい導き

ー営業のあとは、マネージャーに昇進されたんですよね。

宮本:はい。でも、最初にマネージャー昇進の打診を頂いた時は、お断りしたんです。あんなに役職を求めていたのに(笑)。入社1年半くらいでやっと成果が出て、営業でトップになれたら仕事が楽しくなって、しばらくトップの座にいたいと思ったんですね(笑)。

でもよく考えてみれば、社長にはマネジメントが必須だし、前職でお世話になった上司のような尊敬できる人になるためには、マネージャー職に進んだほうがいいと思い、今度は「マネージャーをさせて下さい」と自分から申し出ました。

メンバーに営業力やチームワークの身につけ方、モチベーションを維持する方法などを教え、マネジメントしていました。何しろ、私はこれまで後輩を持ったこともなかったので、人に仕事を教えることの難しさを痛感しましたね。数字が良ければ必ずしもモチベーションが上がるというわけでもないので、「どうしたら前向きに仕事に取り組めるのか」など、本当にいろいろ考えることがありました。でも、大変な分、やりがいがあって鍛えられたし、マネージャーを経験したことで、今まで良き上司や先輩たちに導いてもらって、成果が出せていたんだということを実感しましたね。

ー仕事が変わるたびに考えて、学んで、ステップアップしているんですね。そのあとは念願の社長に?

宮本:いえ、マネージャーを約1年やったあと、上司に局長をやりたいと申し出て、局長職に就任しました。マネージャーの場合はメンバーと直接話ができますが、局長になるとマネージャーを介したコミュニケーションになるので、情報伝達が遅くなります。でも、そのおかげで「私に言われる前にマネージャーが気付いてメンバーに伝えることができるようにするにはどうしたらいいのか」など、違った視点のマネジメントを学ぶことができました。局長の仕事も大変でしたが、楽しかったし、マネージャーと局長を経験できたこの2年間はとても貴重な時間でしたね。

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全て与えられて“働かせてもらっていた”ちっぽけな自分
社長になって初めて知った

ー局長のあと、念願の社長に就任されたんですよね。glamfirstはサイバー・バズの子会社ですが、どういった経緯で立ち上げられたのでしょうか?

宮本:局長時代から、子会社を立ち上げたい気持ちがあることを役員には伝えていました。でも、「何の会社にするの?」と問われたときに、明確なヴィジョンが私の中にまだなかったんです。

最初、自分は営業が得意なので、「営業派遣会社を立ち上げましょう」と提案してみたのですが、役員からいろいろなフィードバックをもらって、「なぜ、今それをやるのか」と聞かれました。そこで、自分にできることを活かせて、今だからこそ必要とされる会社というものを考えたとき、最近インスタグラムでの売り上げが一気に伸びたことを思い出したんです。

私は自らが有名なインスタグラムユーザーというわけではなく、インスタを使いこなす消費者代表です(笑)。私自身の普段の購買行動を振り返ってみても商品を知るきっかけがインスタグラムである事が多く「これはビジネスになる!」という確信がありました。サイバー・バズの事業としてやるという手もありましたが、垂直立ち上げをした方がいいと思い、再び提案してみたんです。

ー会社立ち上げに至るまでのプロセスはどのようなものだったのでしょうか?

宮本:サイバーエージェントグループには役員と社員が参加する事業創出、課題解決のための「あした会議」(現在サイバー・バズでは「JJ(自考自創)会議」)というものがあります。そこでプレゼンして決議されたんです。決まってからは約1カ月半というすごいスピードで会社立ち上げの準備に入りました。もうてんやわんやで大変でしたね。

まず、個人印など、必要なものを揃える事務的なことからスタート。起業についてわからないことも多く、学びながら走った1カ月半でした。そして、やっと立ち上がったというところで立ち上げを手伝ってくれたメンバーが退職をしました。
そして立ち上げ早々「この会社、私ひとり?」という状態になったんです。

とりあえず、売上を作らないといけないと、必死に営業に行きました。売上を安定させたら、4月、5月、6月とひとりずつ社員が増えていって、現在は5名でやっています。私とアシスタントと営業3名。今でも私自身も営業に行きまくっていて、何でもやる社長です(笑)。

ー念願の社長に就任されて9カ月、以前の仕事との違いや意識の変化などはありますか?

宮本:社長になって変わったのは、「会社のお金」というものを強く意識するようになったことですね。私はこれまで自分に課せられた目標数字しか考えておらず、会社のお金のことはほとんど考えていなかったんです。でも、社長になってからは会社の運営にどのくらいのお金が必要かを意識し、倒産しないように、注意深くお金の動きを見るようになりました。例えば、クライアントから何千万もの広告宣伝費をいただいても単純に喜ぶだけでなく、結果を出せなかったらどれほど損失が出るかということまで、しっかり考えるようになりましたね。

もうひとつは人に対する意識ですね。どんなに会社に資産があっても、どんなにいい商品があっても、それを売る人がいないと意味がないし、売る人を教育してくれる人がいなかったら組織は成長しません。会社の組織に目を向けたことはあまりなかったけど、今はすごく興味があります。やはり、人がいなければ何もかも成り立たないので、「人は会社の命だ」と思っています。

これまで全部自分の力でやっている気になっていたけど、実はほとんどやってもらっていたんだということを、社長になってはじめて実感しています。今までは媒体資料も当たり前のように用意されていて、新商品は黙っていてもどんどん出る環境でした。その裏側にどれだけの人が動いていて組織が成り立っているかなんて、深く考えた事もなかったんです。。子会社を作って、それら全てを一人でやらなきゃいけなくなった時、自分一人の力なんて本当に小さいものなんだと痛感し、同時に今まで多くの方々の力を借りて、私は輝かせてもらっていたんだという事に気付きました。。

仕事とプライベートの割合は、あえて見ない

ーずっと仕事について伺ってきましたが、仕事とプライベートの割合についてはどう考えていますか?なんとなく「仕事9割」という印象があるのですが。

宮本:正直、9割は仕事かもしれませんが、あまり考えないようにしています(笑)。スマホを見るたびに、仕事のこと、会社のメンバーのことが頭に浮かびます。それで今までは、私生活でもときどき「あ、また仕事のこと考えている」と気づいて、すごく窮屈に感じていました。

でも、今は「9割仕事でもいいじゃん。」と思うようにしています。私は仕事が好きで、好きなことをしてるんだから。それでもやっぱり駄目ー!ってなる時があります(笑)。そんな時は休みの日には少し仕事から離れて気持ちをリフレッシュさせるために携帯の電源をオフにしちゃうこともありますよ。

ー社長という目標を達成した今、新たな目標はありますか?

宮本:結婚して、出産しても、社長を続けることです。まだ経験した事がないので未知の世界ではありますが、結婚したから、子供が出来たから会社を辞めなきゃいけない。。。そうではなく妻・母・社長の仕事をすべてちゃんとこなしていきたい。そんなスーパーマンのような存在になるのが理想です(笑)。そしてそんな会社を作っていくのが私の今の目標です。

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どこの会社にいっても生きていける人材、
必要とされる人材を輩出できる企業になりたい

ー会社の未来についてはどう考えていますか?

宮本:今後のプランとしては、1年後には社員を10人に増やして、いくつかのチームを組めるようにしたいですね。それに伴って、売上も年々、倍々にしていきたいです。そのために、今も会社のメンバーには、webやお客様についての知識、営業ノウハウなど、実践しながら学んでもらっています。将来、うちの会社を辞めて、他の会社に行っても仕事ができるような人材にしてから卒業させたいと思っているんですよね。だから、私は名刺の渡し方、メールの言葉づかいなど、結構細かく言いますよ。転職先の会社で「前の会社で何を学んできたの?」と言われたら悲しいじゃないですか。

そして、最終的にはうちの会社を去った社員にも「glamfirstが大好きだった」「ここで働けてよかった」「あの人の下で働けて楽しかった」と、ずっと思い続けてもらえる会社にしていきたいです。心に残る会社にするのが、社長である私の務めでもあると思っています。

宮本さんの『My Work Style』
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「バニラな女」になれているか、トップセールスの私が行き詰った時に読む一冊
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