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「人の人生を豊かにし、豊かになっていく人たちを目の当たりにしながら仕事をしたい―」12年間、トップを走ってきた元ウェディングプランナーの住宅ショールーム長

原 友子さん 40代 営業 ショールーム長
リノベる株式会社

1976年生まれ。ホテルの専門学校を卒業後、大手ホテルに入社。ゲストサービス、ベルガールに従事。4年間在籍した後、2000年にハウスウェディングを手がけるベンチャー企業に入社。12年間に国内ウェディングを7年、グループ会社での海外ウェディングを5年担当する。2014年に人材紹介会社に入社し、キャリアコンサルタント職として従事。2016年にリノベる株式会社に入社し、現在は蔵前ショールーム長を務める。

新卒時代からサービス業界で15年以上ものキャリアを積んできた原さん。特にウェディング業界では創業メンバーとして、社長から事業ジャッジを任されるほどの実績を残しました。そんな原さんが次に選んだキャリアは、住宅デザイン・リノベーション事業を行うリノべる社。入社してすぐにショールーム長を務めるなど、活躍中の原さんにこれまでとこれからのキャリアについて伺いました。

仕事後の一杯を楽しみに過ごしたホテル業界での3年間

ーまずは原さんがホテル業界を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

原:高校卒業後は大学に進学しようと思ってたんですが、ある日友だちの付き添いでホテルの専門学校の見学に行ったことがきっかけでした。もともとホテルという場所はすごく好きで「ホテルマンって、かっこいいな」っていうのが漠然と心にあったんですね。それであるホテルの総支配人とお会いする機会がたまたまあったんですが、その方のお話に感銘を受けて……。それで気持ちが固まって、ホテルの専門学校に行くことにしました。

―専門学校を卒業された後はどんな会社に入社したんですか?
原:新卒では大手のホテルに入社しました。私はなんでもビジュアルから入っていくタイプで「キレイで、きらびやかなところで働きたい。ベルガールってさっそうとしててカッコいい!」くらいの気持ちで入ったので、実際働き始めてから結構苦労しましたね(笑)。学生気分も抜けていなかったのか、私のその頃のモチベーションは、仕事に向いていたというよりは、仲間たちと仕事後の一杯を楽しむというところに向いていました。まわりもよく飲む人たちが多くて、早番のシフトだと16時か17時ぐらいには上がれたので、そこから朝まで飲んで……そんな一杯のために働いていました(笑)。ただ、ホテルの仕事の基本が一通り学べた期間ではありましたね。

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自分が主役の結婚式を――
誰よりも目立つド派手な結婚式がしたい!

ー仕事後の一杯がモチベーションだったというのは、今のバリバリ働いている姿からすると想像つかないですね!ホテル業界に入った後に、「何年後かにはこうなりたい」というキャリアプランはありましたか。

原:特にキャリアプランというものはなかったですね。ただ、ホテルの専門学校の時に、大学でいう卒論のようなものの一環で、「自分の人生設計」を立てる課題があったんです。ライフプランを立てながら、何歳ぐらいで結婚して、結婚式は挙げるか挙げないか……など。その時に、私は「結婚したいし、結婚式もしたい。なんなら誰よりも目立つ豪華な“ド派手婚”がしたい!」って、そんなプランを立ててましたね(笑)。
そんな個人的な夢があってか、ホテルで働き始めて少し経って、ウェディング業界に興味を持ち始めたんです。

ード派手な結婚式ですか!それで次の会社でウェディングプランナーとして働かれるというわけですね!

原:そうなんです。でも、就職した時に母から言われた「石の上にも3年」という言葉にならって3年ほどはホテルで頑張っていました。それで、ちょうど3年くらいのタイミングでウェディング業界を目指し始めたんです。

ただ、ウェディング業界って、今でこそ若い人がいっぱいいますけど、当時はウェディングプランナーっていう職種もなかったんです。それに近しい仕事がホテルの中の「宴会予約」というポジションでした。そのポジションは年齢が27歳とかじゃないと働けなくて。既婚者で、かつお偉い方々の対応ができる人というような採用条件だったんですよね。

未経験で年齢の条件がないところを探したら、業界では珍しく24歳でも応募ができる会社を見つけました。それが、次に入社することになったハウスウェディングを手がけるベンチャー企業でした。

自分が休んだらすべてが止まる
考える暇もない結婚式づくり

ーそこからウェディング業界に入られてみていかがでしたか。

原:今だからいえることなんですが、私が入った当時、サービス自体も全然出来上がっていなかったんです。ウェディングについて、ほぼ何も知らない社長と社員が3人で立ち上げた会社だったので、みんな手探りで仕事をしていました。

結婚式で持つブーケとか、新郎の胸につけるブートニアとか、「それってどうすればいいんだっけ?」くらいの状態で……。それでも、めでたいことに受注件数だけは伸びていたので、みんな必死で結婚式を作っていましたね。その当時は、まだ社員数も少なく、みんな昼夜問わず休日まで仕事をしていて、いい意味でも悪い意味でもサークルっぽい社風でしたね。最初のうちは「この人たちと同じになりたくない」と冷めた目で見ていたんです。でも結局、気付いたら自分もその1人になっていて、毎日仕事漬けの生活でした(笑)。

ーハードな仕事の中で、原さんも他の社員の方々と同じように仕事にのめり込んでいったのはどうしてなんでしょうか。

原:社長がずっと言い続けていたビジョン、夢が次々と叶っていく瞬間に立ち会えたことが大きかったですね。私が入ったのは創業の時で、社長が「今は社員10人ぐらいしかいないけど、1年後には50人にして、2年後には200人、設立3年で上場」って。その当時は、私からすると全く想像もできない話だったんですけど。でも社長が言ったことって不思議とすべて現実になるんです。

今では、2000人規模のブライダル業界NO1企業にまで成長しているくらいです。創業時からそういう社長の元で働いていたことで、一社目のホテルでは“飲むために働いていた私”が、いつの間にか“自分一人が手を抜いたらこの会社が傾くかもしれないという意識の私”に意識が変わっていったんです。

ーそうだったんですね!そんな中で仕事へのモチベーションはどのあたりにあったんですか。

原:当時は、結婚式をするなら、大手のホテルとか結婚式場でやるっていうのが主流だったんです。一軒貸切りでのレストランウェディングって、業界でも先駈け的な存在でした。だから、お客様自体もどんな式になるのか想像できていないんですよね。マニュアルもなく、ゼロベースで結婚式づくりをしていたので、やることが本当に多くて。とにかく目の前のことをひたすらこなす毎日でした。悩んでいる暇もなかったし、考えている暇も全くなかった。

たとえば、私が1番最初に担当したのは、レストランウェディングなんですが、初回の新規カウンセリングから接客までは合計5回打ち合わせがあるんです。それに加えて当日の結婚式のキャプテンも自分が担当。先導者の役割で司会進行を追いながら、料理を出すタイミングをキッチンに伝えにいったり。その頃、司会者やカメラマンは外部委託だったんですが、パーティーを回すのは社員たった2人だけでした。担当パーティーが入っていない時は、朝から晩まで1日10件もの新規接客をやることも、もう壮絶ですよね(笑)。考える暇もないし、止まっている暇もない!っていう感じでした。

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「お前がだめだって言うなら諦めよう」
28歳の私が任された経営ジャッジ

ーそこからどんなキャリアを築いていかれたのですか。

原:入社して3年半プランナーをやって、4年目からはスーパーバイザーになりました。要はグループマネージャーですね。全国展開っていうのを3カ年計画で進めていて、5年で65店舗出店という目まぐるしい数字が待っていました。その中で、私は中国九州エリアの13店舗を見ることになって。具体的には売上の管理と店舗管理、あとは人材の管理ですね。各拠点に店舗を管理する支配人がいるので、そこの総合管理が役割です。

ーそうだったんですね。プランナーからスーパーバイザーに職種が変わってすぐに順応できたのでしょうか。

原:それはできましたね。年功序列みたいなのが全然ないベンチャーなので、そこはありがたかったです。
社員数が200~300名ぐらいの時は、社長が末端の社員まで名前と顔を一致させながら全部の仕事の管理していたんです。だから社長と社員との距離感も近いので、企業理念や社長のビジョン、マインドみたいなところも社内の隅々まできちんと浸透していました。社長教みたいな人たちも多かったんですよ(笑)。

ただ、人数が増えたり、エリアが拡大したりしてくると、どうしても社長一人で全部は見きれなくなってきて……。そうなると、ちゃんとした評価もできなくなることもあったりしたんです。

そんなある日、業績が良くなかった九州にある結婚式場の相談を社長からされたんです。社長は「場所も内容も関東で成功しているものを九州に持って行ってるのにうまくいかないのは、会社としてのマインドが浸透してないからじゃないかと考えている。だから、原には九州に行って現場を見てきてほしい」っていう話をされたんです。あとは「実際そこでうちが勝てるか勝てないかをジャッジメントして欲しい」「お前が行ってだめだって言うなら諦めるから」とまで言われまして……。その当時、私はまだ28歳。28歳で経営のジャッジメントする。その責任感ってハンパじゃないですよね?「ここで私がだめって言ったら店舗をなくすの?!」って自分の任された仕事の重さを痛感しました。

でもこの時、私は絶対にどうにかしたいって思っていたんです。なぜならハウスウェディングの先駆者として早期に店舗展開し、とにかくすごい勢いで成長してきた会社だったというプライドがあったんです。さらに、私には数十人だった頃から会社を一緒につくってきたっていう自信もありました。「お宅なんの会社なの?」っていう知名度の時からの失敗も経て、それで今お客様が付いてきてくれてる。他がやってないことをやって、勝ってきたっていう自信とプライドがあったんですね。百戦錬磨でここまできて、初めて負けるのかなと想像した時、「それだけは絶対に嫌だ!」と思ったんです。

ーそんな重大な任務があったんですね。結果はどうだったんですか。

原:はい。行ってすぐ競合と言われる結婚式場を片っ端から回りました。その結果「勝てる!」ってすぐに思いました。なぜなら、社長が言ってたように、条件的にはすごくいい店舗だったんですよ。ただ、やっぱり会社が作り上げてきた思いの部分は全然浸透していなくて……。業績が良くないのも、競合の結婚式の倍近いぐらいの値段設定だったことから、そこにスタッフが最初から追いつけていなかったんですよね。支配人と話したときに、原因が値段の設定ということが分かったんです。

「金額が高いから売りにくいっていうのは分かった。年間予算を合わせられれば値段は下げてもいいよ」と伝えました。金額を下げても年間予算はコミットさせるって、要は件数が増えるってことなんです。でも「社員数は増やせないから、そこの覚悟はよろしく」と支配人と握って、値段を下げるジャッジをしたんです。支配人も「それなら達成できます」という前向きな気持ちで決断。そして、結果、業績は130%くらいまでに回復しました。

この一件から思ったのは、そういう判断も、結局社長マターみたいなところが今まであって、社長との距離が原因でタイムリーに改善ジャッジができていなかったんですよね。こういった経験を28歳という若さで経験させてもらえたことは、すごく貴重な経験でしたね。

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行く先々で楽しみを見出しちゃうタイプ

ーウェディング業界でも順風満帆に見えましたが、そこから次に移った理由はなんだったのでしょうか。

原::7年間いろいろ経験して、全部やりきった感があったんですよね。もともと自分や仲の良い友だちが1番輝ける結婚式をつくれるようになりたい!っていうのがきっかけで入っていたので。ノウハウももう全部学べたし、会社に尽くした時期もあって、かなり規模が大きくなりました。ちょうど会社としても、攻めから守りへと変化しようとしてた時期で。次の人生を考え始めたんです。

7年間、ほぼ休みもなく突っ走っていたので、正直ちょっと疲れたなというのもありました。社長には「会社を辞めようと思っています。今後のことはゆっくり考えたいです」と伝えたんです。そうしたら「そうだよね。ずっと走り続けてきたしね。休んでいいよ」と言ってくれて。休んでいる間は海外に行きたいって話したら、「行ってきたらいいよ。ただ、次にやりたいことが決まってないなら、うちのグループ内に所属して」とありがたいことを言ってもらったんです。そして、2カ月間という長期休暇の後、結局やりたいことは見つからず。系列のグループ会社に出向という形で入りました。仕事は国内ウェディングから海外ウェディング事業へと変わりました。

ーそうだったんですね。新しい環境ではいかがでしたか。

原:そこでは支配人兼スーパーバイザーとしてメンバーをまとめたり、時にはVIPのお客様対応などをしたりしていました。実は、国内の結婚式を担当していたことと、「今いる自分の会場が1番いい」と思ってきたこともあって、海外ウェディングの状況を悲観的に考えていたんですよ(笑)。国内の結婚式なら大切な人がみんな集まれるのに、海外だとそれって難しいって。

でも、いざ海外挙式を担当させていただくと、一気に海外ウェディングの先導者になっちゃうんです。私って結局行く先々でなんだかんだ楽しみを見出しちゃうタイプなんですよ。だから、雑誌にも載っているような素敵なチャペルや海を眺めるロケーションは理想だし、さらには身内しか集まらない海外ウェディングだからこそ、そのアットホームさが素晴らしいなと思うようになったんです。本当に単純ですよね(笑)。

海外ウェディングも一通り経験したあと、なんだかんだで国内と海外を合わせたら、もう12年も会社に在席してウェディングに関わっていたんです。それで、もう自分の中では、ウェディングはやり切ったし、次は違う仕事をしようと思って、仕事を探し始めたんです。

パートナーと阿吽の呼吸でお客さまに満足してもらえる快感

ーそこから次に人材業界を選ばれた理由はなんだったのでしょうか。

原:次のステップを考えた時に、自分が今までなんで結婚式に携わりつづけてきたのか、何か楽しかったのかを整理してみたんです。そこで見えてきたのが、自分のスキルは大したことがなくても、そこにヘアメイクさんやプロの司会者、ドレスプレスさんなど、その道のプロが集まって、その人達を自分がディレクションしていく。そして“阿吽の呼吸”で私が10言わなくても、3言っただけで同じ感覚で動いてくれながら、お客様に100%以上の満足感を与えられる。それに尽きるんだなって気付いたんです。

多分、私は人の人生を豊かにしたり、提供した価値に対してお金をもらったりすることが好きなんですよね。さらに、自分がその豊かになっていく人たちを目の当たりにして仕事ができることも好きなんです。

整理して見えてきた要素から次の仕事を考えたときに、一瞬「住宅」というものも頭によぎったりしたんですが、知識も経験もなかったことから断念。それで、たまたまその時に人材業界でウェディング事業を立ち上げるという話があったので、それなら私にマッチしてるかなって思って入社を決めました。

ーそうだったんですね!在籍していた2年間を今振り返ってみるといかがですか。

原:私はウェディング業界専門のキャリアコンサルタントをやっていました。グループ会社への移籍などはあったにせよ、12年もの間、ずっと同じ会社にいたので、他社のウェディングより、自分の会社が1番で自社のプランナーが1番だと思っていたんです。でも、人材紹介会社に入って、第三者的な立場から客観的に企業を見ることができた。その視点でいろんな会社を見たら、どの会社もそれぞれいいところがあるんですよ。効率化がきちっとできていて、システムチックに回せる会社もあれば、私がいた感情とか熱意が強い会社もあって、そういうところはシステム的なところが弱いなとか。客観的に会社を見る目を養った2年間だったと思います。

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自分で体感する、お客さまと向き合う。
だから私は現場へいく。戦略部門から現場へ

ーそこから今度は住宅界に移られたきっかけについて教えてください。

原:実はウェディングのときの上司からの紹介でした。ウェディングプランナーの提案と、リノべるのワンストップで進める住宅の提案って、どこか似ていると思っていたみたいで。お客様の人生を背負う責任感の部分に親和性があるとおっしゃっていたんです。そして、ちょうど人材を集めている時に、私が昔「住宅とかインテリアとか、空間関係に興味があるんです」って言っていたのを思い出してくれたらしく。「原さん、今なにしてるの?住まいに興味あるって前に言ってたよね?」って声をかけていただいて今に至ります。

ー前職の上司の方がきっかけだったんですね。入社されてどういったお仕事をされているんですか?

原:最初は事業戦略室っていう戦略部門に入りました。前職では、現場を経験した後に事業戦略の仕事をやっていたこともあったので、最初から現場から離れた部署の仕事がありがたかった半面、やっぱり現場ももっと知りたいなと思っていたんです。仕事は現場を見ることが1番だと感じていたからです。お客様と向き合って、そこで初めて戦略的なところが練られるものという考えが私の中にはありました。

だから、入社して2カ月後には「現場に行かせてください」っていうお願いをしました。配属先は桜ヶ丘にあるショールーム。その当時は、営業が1番にお客様とコンタクトをとる窓口だったので、私は営業をサポートするプランナーを2カ月ぐらいやらせてもらったんです。営業が獲得したお客さまに対して、リノベーションの打ち合わせから最後の工事に至るところまで、サポート業務をやるうちに、納品までの一連の流れが頭に入りました。

ーサポート業務で仕事をされた後は、どういう仕事をされてましたか。

原:サポート業務で経験した納品までの一通りの流れと、今までやってきたことを含めて自分は会社にどういう価値貢献ができるんだろうって考えたんです。ある程度、年齢とか経験も重ねてきたので、一プランナー以上の関わり方をしたいという風にはイメージしていました。新しいところに行かせてもらえたら、空気を変えたり、なんか自分なりにできることもあるかなと思って。たまたまその時に、今いる蔵前ショールームの出店計画があったため、立候補しました。

人は環境で変わる!
リーダー輩出店舗&会社のスタンダードになる夢

ーやっぱり現場に熱い思いがあるんですね。新たなショールームにきてみていかがですか。

原:すごく楽しくやらせてもらってます。ここのショールーム長をやるとなった時に、予算は絶対なんですけど、やっぱり必要なのはおもてなしだと再確認しました。私もサービス業が長いので、ホテル時代からそうですが、おもてなしができるホスピタリティのある店舗作りが目指すところなんですよね。

蔵前メンバーはベテランが少ないんですが、だからこそ目標としているミッションを成し遂げることがみんなの自信にもなっています。キャリアが浅くても、そこにしっかりとお客様をおもてなしするという気持ちがあれば、すごくいいサービスを提供できると私は思っているんです。

職場の雰囲気も、このショールームのテーマと一緒でかなりアットホームです。ショールームのテーマには、「誰がなにをしているかが見えて、空気感が伝わる」というコンセプトがあるんですが、この狭い空間にメンバー8人揃っていると、「今集中してるから話しかけちゃいけないな」とか「なんかいいことあったのかな」とか。そういうお互いの状態が肌で感じられるような環境で仕事ができています。だから、すごく一体感をもった仕事ができていると思っているんです。

また、私は裏目標で「キャリアの浅いメンバーがどんどん成長していき、それこそ次世代のリーダーやショールーム長候補になっていくメンバーを蔵前から排出していく」ということを掲げています。だから、メンバーがどんどん成長していく姿をみながら、この店舗から巣立ったメンバーたちが、出店を加速させていくようなそんな店舗でありたいなと思っているんです。「リノべるスタンダードはこの蔵前にある!」っていうのを思い描いてやっています(笑)。

ー原さんなら、その両方が実現させられそうですね!ちなみに、原さんが今の自分自身を作り上げた礎みたいなものはありますか。

原:そうですね。私は、「人は環境で変わる」と思っているんです。前職のベンチャーで、10人くらいから2,000人規模になったときに思ったのが、結局自分を育ててくれたのってお客様だってことなんですよね。24歳の時に入ったので、なんの知識もキャリアもなくて、申し訳ないくらいに失敗もたくさん経験しました。

結婚式って一生に1回なのでやり直しがきかない。お客様に悲しい思いをさせた時って、自分自身を否定するぐらいまでに落ち込むんですよね。そういう思いはもう二度としたくないし、お客様も悲しませたくないとなったら、自分が成長するしかないんです。振り返った時にやっぱりお客様とか取引先、パートナーやメンバーに自分をすごく育ててもらったっていう感覚があります。それを体感するにはやっぱり経験を積むというか、チャレンジしていくことが絶対なんですよね。守ってばかりではダメなんです。自分の経験からそれは分かっているので、若いメンバーにも失敗を恐れず攻めていってほしいですね。

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こだわりのある人生を歩む。
好きなことを仕事にし、やりたいことをやり尽くす

ーそうなんですね!若手の教育にも力を入れているんですね。最後に原さんの今後のキャリアプランについて教えてください。

原:会社としては掲げるミッション「日本の暮らしを世界で一番、かしこく、素敵に。」を成し遂げる為に出店を加速していくので、スピード感を持って結果を残していく。個人的には「暮らしに心地よさや幸せを求める暮らしの拘り人を世に増やすこと」をビジョンに掲げています。ホテルマン、結婚式、住宅……と今までの仕事を振り返ると人の人生に大きく関わる重大なイベントに携わっています。今後のキャリアプランを考えたときに、じゃあ次のステップはどういうプランかなって。

結婚式や住宅購入は大半の方は人生に一回、全財産ともいえる大金を払うタイミングでもあります。そんな重大な決断をする時は、その瞬間だけではなく、未来も踏まえて拘って欲しいし、「かしこく素敵な選択」をして欲しい。そんな暮らしの拘り持つ人の様々な価値を私がマッチングさせて、幸せで豊かな人生をおくってもらうこと。イメージは“暮らしのコンシェルジュ”的な存在になりたいと今は思っています。その為には、様々な価値を持つお客様との出会いが必要なのでリノべるがミッションを成し遂げることが絶対ですね。

あとはこれだけ結婚式に携わってきたので、そろそろ自分も結婚して、拘りの暮らしを実現したなって思っていますね(笑)。

原さんの『My Work Style』
自分が楽しいと思ったことをやる
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