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自分がやりたいことより、会社に必要なところを埋められる人でありたい――。究極のゼネラリストを目指すマルチウーマン

鈴木孝枝さん 40代 経営企画部 課長 
リスト株式会社


1972年生まれ。大学卒業後、百貨店に勤務し、1年間接客販売業務を務めたのち、商社に派遣雇用として勤務。4年間、事務職として従事。その後、駐日外国大使館に正社員として勤務し、外交官のサポート、来日する高官のスケジュール管理などを手掛けながら、IRの資格を取得。その後、大手証券会社に入社し、6年間、名古屋など東海地区の大手法人向けの提案営業に従事。現在はリスト株式会社に在籍。海外営業部、マーケティング部を経て、2016年より経営企画部に所属。米国のサザビーズインターナショナルリアルティ®本部とのリレーション・マネージャーとして、サザビーズインターナショナルリアルティ®との共同のマーケティング企画ほか、海外事業の管理、社長のアシスタント業務なども兼任。

ネイティブ級の英語力と知的向上心で幅広い業界で結果を残しながらも、将来への不安を常に持ち続けてきながらキャリアを築いてきた鈴木さん。何度かの転職を経て、“生きるための仕事”から“会社の隙間を埋められるゼネラリスト”として仕事に対する意識の変化を遂げ、現在活躍されていらっしゃいます。そんな彼女のキャリアストーリーを伺いました。

バブルが弾けた就職氷河期。仕事に気持ちが入らない毎日

―鈴木さんのファーストキャリアは百貨店ですよね。学生時代は流通や販売業に興味があったのでしょうか?大学生時代に思い描いていたキャリアから教えてください。

鈴木:はい。両親が商社に勤めていたので、大学生のときは漠然と商社に勤めたいと考えていました。小学生の頃、海外で生活していたので英語ができたということもあり、できれば英語力を活かせる仕事がいいと思っていたんです。英語を使って国を跨いでできる仕事につきたいと考えていました。ところが、私が就職活動していた時代はバブルが弾けて2年目、まさに就職氷河期だったんです。まったく新卒を採らない会社も多くあり、選ぶ余裕などありませんでした。商社も受けたものの、全部だめで、それで流通だったら海外との取引もあるかもしれないと思って、百貨店に入社したのです。

でも私が配属されたのは店舗勤務の販売職で、これが結構肉体労働なんですよ。大きな箱を持って階段を昇ったり降りたりしていたら、ギックリ腰になってしまって(笑)。そのときにこの仕事を続けていくのは厳しいと思いました。もともと自分が希望していた業務ではなかったし、正直嫌になって1年で辞めてしまいました。

ただ今、振り返って少し後悔しています。やはり1年で辞めたのは早すぎました。その後のキャリアにおいて、販売職の1年間が活かされたことはありますし、もっとちゃんと販売職と向き合うべきだったと思います。できることなら「3年は勤めないとダメだよ」とあのときの自分に言いたいです。

―今振り返れば……ということはありますよね。でもそのあとの再就職は厳しかったのではないでしょうか。まだ時代は就職難ですよね。

鈴木:そうですね。やはり商社に行きたいという気持ちが強くあったのですが、どこの企業も収益が苦しく、多くの商社が正社員の事務職が辞めたあとのポストを派遣で補っていました。だから私は「商社に勤めるにはこれに乗るしかない」と、商社専門の派遣会社に登録をしました。

派遣で決まった商社はとてもいい会社でした。派遣社員の私にも責任感ある業務を任せてくださり、派遣社員が普段持つことのない会社の名刺も作っていただきました。その名刺を持って外回りもしていましたね。

私が所属していた部署は穀物部で、お米と麦を海外から輸入して日本の政府にそれを入札して買ってもらうという業務。海外の輸入業者と日本の食糧庁の間を取り持って申請書を作成するなど、外部の方とのやりとりが多い仕事だったんです。ほか海外の輸出先、船会社、通関会社、保険会社、食糧庁、それから日本側のお客様との間でコミュニケーションを取りつつ、幅広い仕事をしていました。

―前の会社とは全く違う仕事ですね。商社に勤めたいと思っていたとはいえ、商社で仕事をするために必要なスキルはまだないと思うのですが、どうされていたのでしょう。

鈴木:それが、とても丁寧に教えてくださる先輩方がいて、本当にありがたかったです。社会人としての立ち居振る舞い方もこの会社で学ばせていただきましたし、仕事をする上で必要なことはすべてここで学びました。人にも仕事にも恵まれて、本当に感謝しかありません。

ただ、私の中で派遣社員として働く区切りを27歳までと考えていました。仕事は楽しかったけれど、退職金も出ませんし、当時は健康保険も整っていなかったんです。ましてや年をとっても今のように働かせてもらえるとは限らないなどを思うと、不安なところがありました。そんな風に考えて、ちょうど区切りの年齢を迎えたところで、辞める意志を固めたんです。でもこの商社で働いた4年間はとても充実していました。

話しているところ

信頼されて仕事を任されるやりがい、クリエイティブに仕事をする楽しさ

―充実されていた仕事を派遣という立場への不安からやめて、今度は正社員を目指したんですね。それで決まった職場が駐日外国大使館というのは驚きです。商社とも違う仕事ですし、どのような経緯で入り、お仕事をしていたのでしょうか。

鈴木:このときはとにかく仕事の安定を求めていました。正社員かつ英語を活かした仕事と考え、英字新聞で募集を見つけました。入社が決まってから1,2年は、やっと手に入れた正社員という安定したポジションが嬉しかったです。

仕事内容は大きく2つに分かれるのですが、ひとつは、外交官の方の引っ越しのサポートです。私の勤めた国の大使館は世界各国にあるので、それらの大使館と連携しながら、政府が定める法律や規定などを鑑みて、反しないような形で荷物を運ぶお手伝いをしました。この業務のときは、販売をやっていた頃に大きな荷物を運んでいた日々を思い出しましたね。だから業者の方の大変さは理解できたし、うまくサポートできたと思います。またこの業務には輸出入や通関も関わってくるので、商社の経験も活かせました。

もうひとつは、政府の高官が来日するときのサポートです。例えば政府高官が来日されるときは政府のスタッフも大勢来日します。そのときに必要な日本側での事前検査とか、あと日本側の政府とのコーディネーションなども私の仕事でした。

―VIP相手のかなり責任のある仕事をされていたんですね。大使館には8年間と長く勤務されていますが、これはお仕事が楽しかったからでしょうか。当時、新たに得たキャリアの青写真がありましたら教えてください。

鈴木:私はここに勤め始めたとき、いずれ結婚してお母さんになるんだろうなと漠然と考えていたんです。でも年齢を重ねていくうちに「もしかして、このままひとりかも?」とも思いはじめて……。同時に、大使館の仕事がとても楽しくなってきたんです。やはり人は信頼されて、大きな仕事を任されるようになると仕事が楽しくなっていくものなんだなぁと実感しました。

自分のアイデアをこれまでの仕事に加えながら「これはこんな風にした方がうまくいく」と考えてやっていましたね。仕事は自分次第で楽しく変化させることができるんだと、クリエイティブな側面を見つけてやりがいを持って取り組んでいました。そんな風に業務の中で創造力を駆使することができたのは大使館の仕事が初めてです。だから、当初はずっとここで働くことを考えていました。でもイラク戦争があるなど世の中の情勢も大変な時期だったことから、大使館の就労条件も変わっていったんです。それに加え雇用システム上、館内でのステップアップも難しく、私は全く同じ仕事をあと25年続けるのかと想像したら、少し厳しいなと思ったんです。

結婚しなくても困らないキャリアを模索。自分の可能性探し

―確かにずっと同じ仕事をあと25年間……と想像すると途方に暮れてしまうところはありますね。でも大使館では30代前半にして、かなりキャリアアップしていったとも思うのですが、その点についてはどのように思われていらっしゃったんですか?

鈴木:そうですね。確かにキャリアップはしていましたが、このままこの仕事を続けて、20年後にいきなり進路の変更を余儀なくされたら、もう潰しがきかないと考えたんです。ふと考えたら、私は潰しがきかない仕事しかしていないのかと、それがすごく気になってしまって。だったらいろいろな業界を見られるような潰しのきく仕事がしたいと思いました。

―ひとりで生きていくかもしれないと感じ始めて、自分の将来について、だんだんと結婚や家庭を持つというよりも、仕事に意識が行くようになっていった。その先に仕事内容の見直しがあったのですね。

鈴木:まさに大使館時代がその転換期でした。経済的にも精神的にも安定していたからこそ、自分の人生を見つめ直すことができたんです。だから起業家セミナーや自己啓発のセミナーとかいろいろ行き、大使館をやめたら金融業界に行きたいと思いました。いろんな業界を跨いで見られるし、やはり世の中を引っ張っているのは金融だと思って、その中に入って視野広く世界を見たいと思いました。

でも当時の私は金融とは縁もゆかりもないので、とりあえず資格を取っておこうと、頑張れば取得できそうなIRの資格を取ったのです。半年くらい学んで資格を取得しました。覚えることがたくさんあって、いっぱい頭に詰め込みました(笑)。その資格をとって、すぐに大手の証券会社に入社が決まったのです。

UPしているところ

THE体育会系の職場で仕事に熱い仲間たち
心臓が口からでるほどの緊張感の中、頭をさげ続けた未経験営業時代

―IRの資格を取得して証券会社に入ってから、まずは持株会の担当になったそうですが、初めての金融系の会社での仕事内容を教えてください。

鈴木:はい。私はこの会社に、海外の従業員に向けた持株会を展開する提案要員として雇われました。当時、多くの企業が海外に支店を出していて従業員持株会をやっていたんですね。ところが私が入社して1年後にリーマンショックがあり、その業務がなくなってしまったんです。これはまさかの出来事でした。

その後、配属されたのは法人営業。営業メンバーとして国内を主に回り、主に名古屋から東海地区にかけて大手企業の担当をさせていただきました。財務や運用を預かったり、或いは確定拠出年金や持株会を任されているお客様に対して、従業員の投資運用の基礎知識のセミナーを提案し、資産運用に興味を持った方を支店で顧客化してもらう仕事をしていました。具体的には営業なので、まずはお客様のところに行って、セミナーの提案、そして実行、そのあとはアンケートを取って結果を踏まえて次に繋げていく……という感じですね。とても充実した6年間でした。

―初めての営業はいかがでしたか? 6年間仕事をしてきたときの気持ちの変化を教えてください。

鈴木:最初は大変でした。何をしていいのかわからない初心者ですから、営業活動もただひたすら頭を下げ続けるしかなかったです。頭を下げて会っていただき、頭を下げてお客様にいろいろ教えていただき、もう頭を下げっぱなしの営業でした。ただ実直に仕事をコツコツしていくしかなかったんです。

またこの証券会社は、THE体育会系で、特に営業課は厳しかったです。怒鳴られるのは日常茶飯事、ゴミ箱が飛んだりすることもありました。いつも心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいバクバクしていたんです(笑)。でもそれだけみんな仕事に対して熱い思いを持っていて、真剣に取り組んでいる社員ばかりでした。

例えばお客様に提出するデータを、社内の人たちに確認してもらうために、50名に確認依頼メールで送ると、必ず45名くらいからメールがガーッと来るんです。「もっとこうしなくちゃダメだ」「いやこうだ」とか。かなり精神的に追いつめられるんですが、とても鍛えられました。

―お話し聞いていると、しんどいと感じたり、追い込まれて別な会社を……と思ったりしそうですが、そこを踏ん張れた要因というか、仕事への原動力は何でしょう。

鈴木:確かに向かない人もいました。私の同期は二人、そういう激しさに耐えられなくて辞めてしまいましたから。でも私は「嫌だから辞める」ということはしたくなかったんです。最初に就職した百貨店を嫌だから辞めて、私の中ではそれがすごく心残りでした。あれ以来「嫌だから辞める、ということは二度としない」と決めたんです。嫌だと思う気持ちを乗り越えて「ここまでやったからよし!」と納得できたら辞めようと。その一念で続けていましたね。

未経験営業が努力の末、営業成績2位に!
達成感をふまえて自分のキャリアのNextステージを模索

―証券会社は6年いらっしゃいましたが、辞める決心ができたきっかけは何だったのでしょう。

鈴木:在籍した最後の方でやっと仕事が軌道に乗って、14名の営業マンの中で私は営業成績で2位を取れたんです。トップではないけど自分の中ではやり切ったという気持ちはありました。もともと雇用形態に不安を感じていたこともあり、この2位という結果が、新たなステージへと私の背中を押してくれました。

この証券会社は基本的に新卒採用で、私のような中途採用はマイノリティーで新卒とは雇用体系や報酬体系が異なるため、営業結果と雇用条件のことで悶々としてしまって……。老後食べて行けるだろうかなど、先々のことまで考えたんです。

私はいつでも新しい仕事を探せるように履歴書の準備は整えていたのですが、何しろ営業成績が追い付いていなかったので「まだ辞める時期じゃない」と考え、とにかく仕事に邁進していました。トップに近づいたので、今ならもういいだろうと、次の仕事を探すという行動に出たのです。

電話しているところ

ベンチャー要素×ハワイ×街づくり。営業ができない疾走感。葛藤の1年

―やりきって証券会社を卒業されて、現在の会社に入社されるわけですが、証券会社とは全く関係のない業界に飛び込まれていらっしゃいますが、それはどういった経緯なんですか?

鈴木:私はこれまで大手の組織でしか仕事したことなかったので、次はベンチャー的な要素のある会社で仕事をしたかったんです。また、やはり英語を活かせる、海外と接点のある仕事に関わりたかったということも大きな理由です。

最初はリストの子会社のJSインターナショナル(現リストインターナショナルリアルティ)に入社しました。12名くらいの小さな会社です。そこの営業を任されたのですが、ワードビレッジという22棟の高級コンドミニアムが入ったハワイの街づくりのプロジェクトメンバーになり、営業ではなく企画業務の仕事を任されることになったんです。

そのような仕事は未知の領域だと思っていたのですが、大使館時代や証券会社時代の経験が役立ちました。大使館で来日する政府の高官のスケジュールを組んだりしていたことや、証券会社で海外の持株会をやったときの知識や手腕が活かされたんです。高級コンドミニアムのプロジェクトを進める中で、海外から著名な大学の教授などを呼んで経営トップ向けのセミナーを開いたり、経済界の幹部とのパイプラインを太くするために親交を深める企画を立ち上げたりという仕事に繋がったんですね。

―すべての経験が糧になっているのですね。でもご自身としては、最初は営業のつもりで入ったら、企画の仕事がメインになり、気持ちとしてはどうだったのでしょう。はりきってやっていたのでしょうか? それとも営業ができると思ったのにガッカリだったのか……。

鈴木:ガッカリです(笑)。でも仕事は期日がありますし、止めることはできないので、とにかくやるしかないと徹夜して必死にやりました。自分としては、いっぱいいっぱいな気持ちでやり遂げて、終わったと思ったら企画の仕事を続けてほしいと言われたんです。

そのときJSインターナショナルとリストの営業・販売部門が合併してリストインターナショナルリアルティという会社になりまして、私はそこのマーケティング部に配属になったんです。この会社はサザビーズインターナショナルリアルティ®のフランチャイズの日本代表なんですが、私は引き続き先のハワイの不動産のセミナーの企画の仕事をやりながら、サザビーズインターナショナルリアルティ®の本部とリストを繋ぐ窓口業務をしていました。

サザビーズというのはあのオークションハウスのササビーズのことで、サザビーズインターナショナルリアルティ®はサザビーズをルーツに持つ不動産仲介のブランドです。当社はそのサザビーズインターナショナルリアルティ®のフランチャイズの権利を取得して動いているので、私が窓口として相互に情報を連携したり、交渉したり、それらをまとめる仕事をしています。

ロゴ前

今までの経験を活かして会社の発展に貢献する交通整理係り
企業の歯車ではなく、事業の一端を担っている喜び

―サザビーズインターナショナルリアルティ®との窓口業務やハワイの高級不動産の仕事で英語力を活かせるという点では、目的を達成できたのですね。仕事はマーケティング部でも様々な業務があるようですが。

鈴木:当社のマーケティング部は本当に仕事が多岐にわたっていました。土地の市場調査をやっている人間もいれば、分譲の戸建やマンションの宣伝を担当していたり、マガジンを手掛けている人間もいたり、やっていることが人によって全然違うんです。今は、経営企画の部署にいますが、いつも同じ業務をしているというより、時期によってガラリと違うことをやることもあります。

なぜそうなるかと申しますと、当社は、成長スペードが早い為、社員はかなり柔軟性を必要とされますね。私は今、ササビーズインターナショナルリアルティ®の本部との窓口や種々のプロジェクトを手掛けていますが、一方でハワイにあるオフィスのマネージメントプロジェクト業務の一部も任されています。

―営業の仕事じゃない業務でガッカリしていたとは思えないくらい、とてもイキイキ仕事していらっしゃる印象がありますが、ご自身としてはどうなのでしょう。

鈴木:私は今までいくつかの会社で働いてきましたが、今の会社がいちばん楽しくて好きです。なぜなら企業の歯車では無く、自分がその一端となって責任を担いつつ会社を作り上げることができるからです。自分の仕事が会社の成長に大きく貢献できるという実感が得られるのは仕事をする上で大きな喜びです。

どんな役に立っているかというと、やはりハワイと日本とアジアはそれぞれ文化がまったく異なり、仕事の進め方、考え方も全然違うし、良かれと思ってやったことが仇になって返ってくることもあるんです。そういう違いを私はかつて数々の業務で理解していたし、どう交渉していけばいいかもわかっています。だから間を取り持つことができるのです。ハワイ、シンガポール、フィリピンとコミュニケーションをスムーズに取れて、必要な情報を必要な人に渡して、会社全体が発展していける手助けができている実感があります。いわば、交通整理係みたいなものですね。

自分がしたいことではなく、会社を見渡したときに「これ必要じゃない?」と思ったら、それを提案し、受け入れてもらえたら進めていく。却下されたら「これは我が社には必要ないんだ」と判断する。材料を探して、推進出来るのがとても面白いです。

会社が求めてること>自分がやりたいこと
隙間を埋められる究極のゼネラリストでありたい

―会社のことが大好きで仕事が面白いと思えるのは最高に幸せですね。現在、会社の一端として仕事をする喜びは、営業へのこだわりを完全に払しょくしたのでしょうか。

鈴木:そうですね。最初の1年は営業をやりたかったので、苦しみました。でも絶対に3年は働くと決めていたので、続けてきて今があります。その間にいろいろ考えをめぐらせまして、私がやりたい仕事じゃないことが回ってくるということは、いま与えられた仕事にニーズがあるということだと考えるようになったんです。だから基本的に与えられた仕事はやる。でもただ言われたことをそのままやるのではなく、もっとこうした方がいいと思ったら提案していこうと。当社のいいところはそういう提案を受け入れてくれる土壌があるところだと思っています。

これが大きな企業だと難しいんですよ。会社として完成されているし、既存の成功例もありますから、それを超えることは厳しい。でもここでは話を上にあげることができるし、周囲もそれを待っているんです。

―様々な気付きを得て、前向きに仕事をされていますが、今後のことはどのように考えていらっしゃいますか?

鈴木:これまでのキャリアの反省点を踏まえていうと、やはり会社のニーズがあっての仕事だと思います。だから私は究極のゼネラリストでいたいと考えています。

では究極のゼネラリストとして生きるためにはどうしたらいいのかというと、隙間を拾っていくことなんです。誰も気付いてない隙間とか、誰も手を入れてない隙間とかを拾って、ちゃんと整えることが私の仕事だと思っています。会社のニーズが何なのかを自分なりの目で見ること。必要なのは何か、必要としているのはどういう人なのかを知ることが重要です。

私のこれまでのキャリアも、英語を使う仕事がしたいのに販売で肉体労働とか、証券会社で海外へ飛び出したと思ったら国内法人営業とか、想定外のことがたくさん起こりました。人生は思った通りの場所に立てるとは限らないですよね。

「私はここに立つべき」と自分で決めると視野が狭まります。だからニーズに従って歩を進めていく方が、世界が広がるし、ゼネラリストとしてはそうあるべきだと考えています。今、それがわかったからこそ、1年で仕事を辞めてしまった新卒の自分に「3年はそこで頑張った方がよかったんじゃないの?」と言いたくなるんです。

鈴木さんのMy Work Style「感情に流されて行動しない。感情的になったら冷静な自分になるまで時を待つ」My Work Styleをみる