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受付嬢からWebメディアの編集長に!キャリアステップの中で“文章を書く”ことへの執念に気付き、大きな志に燃える女性コラムニスト

東香名子さん 30代 ライター


大学院修了後、編集プロダクション、証券会社の受付業務を経て、2012年より業務委託でメディア女性メディアの編集長に就任。2015年にフリーランスとして独立し、現在はコラムニスト、Webメディアコンサルタントの両軸で活動中。書籍の出版も行っており、最新刊は「100倍クリックされる 超Webライティング実践テク60」(パルコ出版)。

女性メディアの編集長として、飛躍的にPVを伸ばした実績を持つコラムニストの東香名子さん。現在はライティングやWebメディアのコンサルティングのほか、テレビやラジオなどにも出演されています。そんな東さんのこれまでのキャリアについて伺いました。

プロの世界の厳しさを痛感
女性であることを忘れるほど忙しき日々の中で追い続けたライターとしての道

―大学時代から編集プロダクションでライターの修行をされていたそうですが、ライターを目指しはじめたきっかけを教えてください。

東:高校時代、インターネット上に掲示板を作るのが流行っていて、友だちと一緒にいろいろと書きこんで遊んでいたことがありました。中でも私が一番たくさん書きこんでいて、その内容が友だちに好評だったので、文章を書くことがどんどん楽しくなっていったんです。それが、「ライターになりたい」と思いはじめたきっかけですね。

その気持ちは大学生になっても変わることなく、将来はライターになりたいとは考えていましたが、当時は今のようなWebメディアというものがなく、紙媒体しかありませんでした。例え出版社に入社したとしてもライターになれるとは限らないと知って途方に暮れていた時、編集プロダクションであればライターになるチャンスがあるかもしれないという情報を得たんです。

そこで、大学院1年の時に編集プロダクションで編集アシスタントとしてアルバイトをすることにしました。これが想像以上に忙しくて、かなりしごかれましたね。それでも文章を書く仕事が好きだったので、大学院修了後にそのまま編集プロダクションの正社員になることにしました。

―編集プロダクションの具体的な仕事内容はどのようなものだったのでしょうか。また、アシスタントのお仕事で得られた経験についても教えてください。

東:正社員になっても変わらず編集アシスタントだったので、仕事内容もアルバイト時代と同じフリーペーパーやスポーツ新聞の広告ページなどを手掛けることでした。入社時には自分は文章が上手いと思っていたのですが、プロの世界では全く通用しなくて落ち込むことも多かったですね。

頑張って書いた記事を上司に見せるたびに「こんなんじゃ誰も読まないよ」と突き返されていました。高校時代の友だちには好評だった自分の文章も、プロの世界ではレベルが違いすぎて使い物にならなかったんです。厳しい現実を突きつけられた感じでした。

スタッフはみんな忙しく、仕事を教えてくれるような時間的余裕のある人はいませんでした。当然のように研修もなく、先輩の仕事を見ながら実践して自分で仕事を覚えていくしかありませんでした。当時はあまりにも忙しすぎて、お洒落をする時間も遊ぶ時間もなく、それどころか会社の床で寝たことさえありました。

もちろん、自分の時間なんてほとんどありませんでしたね。それでも仕事を辞めなかったのは、やはり“文章を書くこと”が好きだったから。自分の書いた記事が新聞や雑誌に形として残るのが嬉しかったし、編集プロダクションのようなマスコミ業界はなかなか入れるような世界ではないので、その華やかさに酔っていたところもあったのかもしれません。

編集プロダクション時代は、こんな風に憧れのマスコミ業界で華やかな世界を体感しつつも、仕事に関しては社会の厳しさばかりを痛感していました。でも、この時期の辛い修行経験があったからこそ、今の自分があるのだと思っています。

話しているところ引き

ライターを目指した自分にさよなら
“外資系×受付嬢=モテそう!”という理由で180度のキャリアチェンジ

―編集プロダクションで経験を積んだ後、外資系証券会社の受付嬢をされるんですよね。キャリアが180度変わっていますが、どのような心境の変化があったのでしょうか。

東:編集アシスタントの仕事があまりにも忙し過ぎて、少し嫌になってしまって(笑)。一度落ち着いて生活をリセットしたいと思い、得意な英語を活かせる仕事を探すことにしたんです。「英語 + 外資系 = モテそう」という風にも考えていましたね(笑)。そして、証券会社の受付の仕事に就くことになりました。

編集アシスタント時代はずっとパソコンの前にいて、ほとんど一日中誰とも会話することもなく、口を開くのは先輩に怒られて謝る時だけという環境でした。そんな前職とはガラリと変わり、受付はとにかく人と接する仕事なので、いつも笑顔で明るく応対することを心がけていましたね。

ただ、英語が得意とはいっても、ビジネス英語を完全にマスターしていたというわけではなかったので、そこは苦労しました。以前とは仕事の分野が全く違うので、金融業界についていろいろ調べたり、ビジネスマナーや言葉遣いを学んだりできて、得られるものも多く、仕事自体は楽しかったです。何よりも「受付は会社の顔」なので、きちんと化粧をして、ファッションもビシッと決めて、女性らしく振舞うことができたのが一番嬉しかったですね。受付の仕事では第一印象の大切さを嫌というほど学びました。

―受付のお仕事は満足度が高かったんですね。

東:満足度はかなり高かったですね。場所が六本木ということもあって外資系の会社があるので外国人も多く、エリートビジネスマンやキャリアウーマンに囲まれて、英語も使っていたし、少し調子に乗っていたかもしれません(笑)。それでも、やはり文章を書くことが好きで、出版社に勤めている友だちの手伝いで細々とライティングしていました。

そして2011年頃「スゴレン」などの恋愛メディアが盛り上がりはじめた時期、ネット上の記事を見ていて、私も「恋愛コラム」を書いてみたいと思うようになりました。それからもだんだんと書きたい気持ちが高まっていったので、当時ライターを募集していた女性メディアに応募してみました。

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メディアとしてのクォリティに疑問
「私がこのメディアを変えて見せる!」という勢いで、OLとライター、二足の草鞋を履く

―ライターに応募したはずが、どういう経緯でそちらの女性メディアの編集をすることになったのか教えてください。

東:応募して、すぐに面接に行きました。当時はマンションの1室で別の事業の片手間に、男性が一人で運営していたメディアだったんです。その時は立ち上げて間もなかったこともあり、1万PVに届くか届かないかという規模のメディアでした。そこで、自分から手伝いを申し出て、業務委託契約で過去の経験を生かした編集の仕事をスタートすることにしました。

掲載されている記事を改めて見直してみたら、編集プロダクション時代に経験した媒体と比べて、かなり粗が多かったんですよね。それを見て「私がこのメディアを立て直してみせる!」という謎の使命感が湧いて(笑)、編集の仕事に深く入っていきました。

―当時は平行して受付の仕事もされていたんですよね。まさに二足の草鞋生活ですね。

東:そうですね。1年間は受付の仕事をしながら、女性メディアの編集に関わっていました。当時は朝8時から受付の仕事をして、終わって制服を脱いだら、その足で編集部に行って夜10時まで作業をするという毎日を送っていました。

毎朝5時に起きて、手伝っていた編集部宛のメールをチェックし、原稿を書いてから出勤していましたね。当時、そのメディアは女性向けのアダルトを取上げたパイオニア的な存在だったので、早朝から女性向けAVを見ながら原稿を書くこともありました(笑)。26歳から28歳の頃はそんな生活を土日も続けていたんですが、今考えると信じられないですね(汗)。

―怒涛の日々ですね。書きたかった恋愛コラムはすぐに執筆することができたのでしょうか。