RWI_104_0227

15歳で学業の傍ら、働くことへの情熱が芽生える。イスラエルから来日し、言葉や差別の壁を乗り越えてパッションを武器に起業した広告代理店の女性経営者

中村 シバンさん 30代 代表取締役
SivanS株式会社


1978年生まれ。2001年に来日。洋雑誌の営業、金融会社でコミュニケーションマネージャーを経験し、広告代理店のアカウントエグゼクティブのプロジェクトマネージャーを務める。2010年、フリーランス契約で広告代理店に入社後、2011年に起業。SivanS株式会社の代表取締役に就任。

SivanS株式会社の代表取締役の中村シバンさんは来日後、全く仕事がなかった状態から会社経営者にまでキャリアを前進させてきました。そのパワーの源は仕事への情熱と他人とは違う絶対的な個性。中村さんが現在に至るまでのプロセスを伺いました。

働き始めたのは15歳
自分の特別なスキルはコミュニケーションだと確信したウェイトレス時代

―15歳の時にウェイトレスの仕事をしながら学校に通っていたそうですが、そのときのことを教えてください。

中村:私が学校に通いながら働いていたのは、両親が厳しくて小遣いをなかなかもらえなかったからです。洋服を買ったり、友だちと遊びに行ったりするときのお金を稼ぐために働いていました。それでも働くことが大変だと思ったことは一度もありませんでしたね。むしろ、勉強と仕事の両立は私にとって、とても楽しく学びの多い経験だったんです。

ウェイトレスの仕事はコーヒーを運ぶだけではありません。居心地のよいお店だと思ってもらうために世間話をして、自分から積極的にお客さんとコミュニケーションをとっていかないといけないんです。ウェイトレスの仕事を経験したことで、自分は仕事ができるという自信が持てるようになったし、自由に使える小遣いも増えて、日々の生活のモチベーションがアップして勉強のやる気も出ました。また、お金に対する気持ちも変わりました。やはり自分で稼いだお金なので、大切に管理するようになりました。

学生時代はそんな風に仕事と勉強の良いバランスを保っていたと思います。母に小遣いをねだるどころか、兄弟に小遣いをあげていたくらいでした。

―ポジティブにお仕事に取り込まれていたのですね。当時からその後のキャリア設計についても考えていたのでしょうか。

中村:私がウェイトレスの仕事を選んだのは、人とのコミュニケーションが好きだったからです。他の人が何を考え、どのように生活をして、何を仕事にしているのかということにとても興味があったんですね。だから、絶対に将来は人と関わる仕事がしたいと学生の頃から思っていました。

ウェイトレスの仕事をして良かったのは、コミュニケーションやセールスのスキルがアップしたこと。大勢のお客さんが来店したときにも、ただ注文を受けるだけではなく「こちらもオススメですよ」と必ず何かをセールスするようにしていました。そうやって、コミュニケーションやセールスのスキルを自ら磨いていったんです。そのときから「私はPRやセールスなど、コミュニケーションが必要な仕事が向いているに違いない」と思っていました。

―学生のうちから、PRやコミュニケーションのスキルがあることを実感できたんですね。

中村:当時はまだ15歳だったので、マーケティングのことなどは全くわかりませんでしたが、自分にはコミュニケーション、セールスに加えて、リーダーシップのスキルもあると思っていました。私は6人兄弟の末っ子だったのに、いつも兄弟のリーダーシップを取っていたんですよ(笑)。兄や姉は心配性だったので、私がアイデアを出してリードしていました。大人と話をするのも大好きで、お店でも「どんな仕事しているんですか?」、「将来のために何を勉強しておいた方がいいですか」といった質問をして、お客さんやスタッフに教えてもらうのが大好きでした。本や新聞を読んで情報を集めないとわからないようなことも、キャリアのある大人に教えてもらえるのでラッキーだと思っていました。

話しているところ

21歳、バックパッカーでイスラエルからオーストラリアへ! 
そこで夫と運命の出会い

―来日される前は、バックパッカーでオーストラリアにいたそうですね。

中村:そうです。でも、オーストラリアに行く前に軍隊に入りました。イスラエルでは女性にも兵役があり、18歳で軍隊に入らないといけないんです。軍隊はタフでないとやっていけない世界なので、かなり鍛えられました。そのまま2年間が過ぎて心身ともに疲れきってしまい、リフレッシュしたくて、仕事で貯めたお金で昔から憧れていたオーストラリアに行くことにしたんです。

オーストラリアには21歳から22歳までの1年間滞在しました。観光だけではなく、ヘブライ語の先生やピクルス作りなどの旅行者のための仕事をしながら過ごし、おもしろい経験をたくさんしました。オーストラリアには旅行者同士の情報交換ができる専門のコミュニティがあって、自分の希望条件を添えて仕事をリクエストすると、適した仕事を紹介してくれる人がいたんですよ。私は好奇心旺盛で何でもやりたがるタイプなので、仕事以外にも学生同士のミーティングに参加したり、いろいろな場所に足を運んでみたりして、海外では何をやっても勉強になると思っていました。

―充実した日々を送られていたんですね。1年間のオーストラリア生活のあとは、どういうプランを立てていましたか。

中村:実はオーストラリアのメルボルンで、とても素敵な日本人男性と出会ったんです。それが今の夫です。一緒に2~3週間旅をした後、彼と2人でイスラエルに帰りました。でも、その時の私たちはノープランだったので、そこからが大変!父は私が日本人と付き合うことをあまりよく思ってはくれませんでした。でも、2人とも旅行でお金を使い果たしてしまっていたので、どうにもできなかったんですよ。

イスラエルでは兵役が終わったら大学に進学するのが普通なのですが、私には大学に行くお金が残っていませんでした。とにかく稼がないといけなかったので、またウェイトレスの仕事で稼ごうと思ったのですが、急に彼が日本に帰りたいと言いだしたんです。その時の私は大学も出ていないし、日本語もできないし、英語も教えるほどはできないという状況でした。こんな状態で日本に行って大丈夫なのだろうかとかなり悩みました。でも彼を愛していたし、もしかしたら自分の人生の新たなスタートになるかもしれないと考えました。それで「私ならきっと日本でもやっていける」と自分を信じて、彼と一緒に日本に行くことに決めたんです。

日本語ができないまま就職活動
キャリアはウェイトレスと軍隊だけど、入社して3カ月間トップセールスの記録!

―日本に来てからはどんな風にキャリアを築いていきましたか。

中村:もちろん、日本でキャリアを築くのは簡単ではなかったです。私が来日したのは、ちょうど2001年。当時はまだフェイスブックのようなSNSはなかったし、今のようなインターネット社会ではありませんでした。彼の家でご両親とも同居していたので、日本語は彼のお母さんから教わりました。

彼が帰国してすぐに働き出したので、私も就職活動を始めたのですが、当時の「日本語が話せない外国人」の私はすべての会社から「ノー」と言われ、雇ってくれる会社はありませんでした。それでも、とにかく行動しなければと思って、綺麗にラッピングしたドライフラワーのアレンジメントを作って、自転車を使った訪問販売を始めてみたんです。その時は、まだ22~23歳だったので、他のお花屋さんよりも安いから日本人は買ってくれるだろうと思っていたんですよね(笑)。

頑張って作ったのに、全く売れなくて悲しかったです。それでも私は日本の会社で働くことを諦めず、仕事を探しながら新しいアイデアや、自分にできることを考え続け、次のステップが来るのを待ちました。

―そのポジティブな気持ちが次のステップに結びついたんですね。

中村:日本で最初に決まった仕事は洋雑誌の営業の仕事でした。求人を見て応募したら「明日、面接に来てください」と連絡が来たんです。それまでは断られてばかりだったので、その時はとても嬉しかったですね。とにかく自分の仕事に対する情熱やモチベーションを会社の方に伝えたいと思って、用意したスーツを着て、面接の2時間前には会社に着いてずっと待っていました。

外国人の私にとって面接までこぎつけられたことは滅多にない大チャンスだと思っていたので、「会社で働いた経験のない私に面接というチャンスを与えてくださってありがとうございます。私にはコミュニケーションスキルがあり、仕事をすることへの強い情熱があります。低賃金でも働きますので、よろしくお願いします!」と会社の方に自分の強い思いを全てぶつけました。そうしたら「お願いします」と言っていただけたんです。そこで私は初めて日本の会社で働けることになりました。

キャリアアップのため新天地へ
“外国人×女性×若手”という三重苦のレッテルに苦しむ

―情熱で勝ち取った仕事ですね。入社してからのことを教えてください。

中村:仕事への情熱や働く意欲の強さのおかげか、入社して3カ月間は営業成績がトップだったんです。その後、金融会社からヘッドハンティングを受け、金融会社のコミュニケーションマネージャーに就任しました。

その会社は外国人の社員が多いインターナショナルな会社ではあったものの、日本企業ということもあり、理解できないことがありました。それがお客様をご案内したり、お茶を出したりするのは女性の仕事と決められていたことだったんです。男女の仕事の差を感じたし、そういう風習は好きになれませんでした。それと、社員同士のランチや飲み会に外国人の私は呼んでもらえませんでした。

まだ仕事の経験が浅く、さらに「外国人×女性×若手」という三重苦を背負い、日本に来て初めて体験したビジネスカルチャーギャップでした。でも、こんなことで落ち込んだり、不満を言ったりしていては、次のステップに進めないと自分に言い聞かせ、我慢して頑張って仕事をしていました。この会社にいたのは2年間ですが、今思えば良い経験をさせてもらったと思っています。

―そのあとは広告関係のお仕事に就かれるんですよね。

中村:はい。広告代理店に入社しました。働いているうちにマーケティングやクリエイティブな仕事に興味を持つようになって、そういう仕事に就きたいと強く思ったんです。前職のファイナンスのマネジメントはクリエイティブな仕事ではありませんでした。ファイナンシャルプロダクトでは毎回違うものを構築しますが、セミナーやニュースレターなど、ゼロから何かを生み出すようなクリエイティブな作業でないものが多いのです。私は絵を描いたり、もっと面白いコミュニケーションをゼロから何かを作り上げたりするのが好きなので、次の仕事はクリエイティブな世界に進みたいと思ったのです。

会議

広告代理店に入社するが保守的な会社の方針にあわず、フリーランスの道を選択

―広告代理店でのお仕事はいかがでしたか?

中村:ファイナンシャルの仕事は対個人でしたが、広告の仕事では広いマーケットと対峙します。そこに魅力を感じました。どうプロモーションをして、どんなコンテンツを作成すれば、売上アップに繋がるかを考えるような戦略的な仕事がしたかったんです。

しかし、アカウントエグゼクティブのプロジェクトマネージャーを任されていたんですが、新しいことを試みようとしても、やらせてもらえないことがありました。売上をアップさせるために、もっといろいろできることがあるのに、上司は私に「一緒にプロジェクトを進めていこう」とは言ってくれなかったんです。

私は自分でリーダーシップをとって進めていきたいタイプなんです。前の会社は規模が大きすぎて自分が指揮をとれるようなところではなかったし、2社目の広告代理店は規模は小さいものの、考え方が保守的で会社を大きく成長させようという意欲が感じられませんでした。そこで、会社を変えようかとも思ったのですが、別の会社に入社しても同じことになるんじゃないかと悩みました。私は会社の一部にはなりたくないし、自分の個性を仕事でもっと発揮したいんです。そのためにはフリーランスになるのがいいのではないかと思い、3社目はフリーランスで契約してもらうことにしました。

―フリーランス契約ならば、会社の方針に自分の方針を溶け込ませることができそうですね。

中村:女性社長のPR会社で、私がクライアントのマネジメントをして手数料やプレゼンテーション料を会社に支払うというスタイルの契約でした。私は常に成長を求めているので、今回の社長も会社を大きくする気持ちが足りない気がして、そこが少し残念でした。それでも様々な経験ができて、自分自身のステップアップにはつながったし、いい出会いもありました。そして、周囲から自分の会社をつくることを勧められて、2011年に起業してSivanS株式会社を設立し、今に至ります。

素晴らしい女性マーケティングディレクターとの出会いが大きなターニングポイントに

―フリーランスから起業して、実際に会社を経営してみていかがですか。

中村:会社をスタートさせたとき、ファイナンス管理などを人任せにしないで自分でやってみることにしました。まず自分でやってみるというのは、私が今でも全てにおいて実行していることで、いろいろなことを学ぶためのチャンスになることだと思っています。

会社のお金の配分についても、自分の給料を高額にすることなどは考えず、どんな風に使っていくか、どこにどういう人を配置するかなど、自分で考えながら進めていきました。現在、社員数は30名。スタッフは毎年少しずつ増やしていくように管理して、いきなり大量雇用するようなことはしません。社員にはそれぞれ家族がいるので、スタッフを雇うことは責任重大だと思っているし、リスクを背負ってまで会社を大きくしようとはしないように心がけています。会社の成長は大切なことですが、そこは慎重に進めていきたいです。

―会社を立ち上げてから5年半の間に、ターニングポイントがあれば教えてください。

中村:起業して2年後、FCA(Fiat Chrysler Automobiles)ジャパンが弊社のキーとなるクライアントになりました。FCAジャパンのマーケティングディレクターのティツィアナ・アランプレセさんと出会ったことは私にとって大きな出来事でしたね。

「女性のためのファイナンス」のイベントでアランプレセさんに「何かできることはありませんか」と声をかけたのが出会いのきっかけでした。FCAジャパンは大手なので、そんなに簡単にはいかないと思っていたのですが、メールでのやりとりで、ミーティングの約束を取り付けられたんです。私はそのミーティングでプロジェクトをひとつ提案し、それが弊社のフィアット・カフェの仕事に繋がりました。アランプレセさんはイタリア人で、女性のためのプロモーターとしても活躍されていて、セミナーやNPOにも参加しています。いつも「女性はもっと活躍できる」ということを提唱されていて、私は彼女の情熱的なところが大好きで常に刺激を受けています。

また、社内の話になりますが、FCAジャパンと契約した際、ファイナンスをきちんと整えて全体のクォリティを上げる必要があると考え、ゼネラルマネージャーとして経験豊富なベテランの方に入社してもらいました。彼のキャリアは多岐にわたり、会社の経営やビジネス手腕に長けていることはもちろん、広告代理店にもいたのでクリエイティブな一面もあり、実に視野の広い人です。私には見えていないものも彼には見えていて、会社全体のクォリティを上げるために貢献してくれています。この2つの出会いが5年半の間のターニングポイントといえるでしょう。

―「働く女性を応援する」というティツィアナ・アランプレセさんの活動は、今多くの人が関心を持っていることですよね。

中村:そうですね。アランプレセさんのエンパワメント(人々に生きる希望、勇気を与え、生きる力を引き出すこと)の活動は素晴らしいと思います。日本は男女の仕事におけるバランスがあまりよくないので、女性はそこで本来の力が発揮できない場合もあると思うんです。

先日、弊社でシングルマザーの方の面接をしたんですが、その方はシングルマザーであることを恥ずかしく思っているようでした。そのような考え方はおかしいと思いましたね。シングルマザーは子供のために一生懸命働く母で、私は素晴らしい存在だと思っているし、尊敬もしています。それを恥ずかしいと思わせる社会の方を変えていかないといけません。

例えばこれがシングルファーザーだったらどうでしょう。シングルマザーほど仕事を得ることに困らないのではないでしょうか。そこが日本のバランスの悪さです。シングルマザーの女性がもっと力を発揮できるように、生活費・養育費を稼ぐことへのエンパワメントを積極的に行っていく必要があると強く思います。

グッツ
※シバンさんにとって赤はパワーをもらえる特別な色だそう。自分の持ち物はすべて赤に統一されています。

人生は自分が輝くためにあり、人のために働くことではない、You belong to yourself!

―日本はいまだに高度成長期の働き方から変わっていないから、ワーキングマザーにとっては窮屈で働きにくい社会だといわれています。中村さんは子育てをしながら働く女性について、どうお考えでしょうか。

中村:私も働くお母さんですが、仕事と家庭のバランスは完璧とはいえません。でもこれをバランスよくできるように変えていけないといけないですよね。体調さえよければ、妊娠中も働くのは素晴らしいことだと思うし、お腹の赤ちゃんにもいい影響があると思っています。逆に妊娠したからといって専業主婦になってしまうのは、あまりいいことだとは私は思えないです。もしも離婚することになったら、仕事がなくてお金もなくて、辞めなければ良かったと後悔するのは女性です。

最近、イスラエルの友人が2人の子供を育てながら、自分のキャリアを築こうと働き始めたのですが、とても忙しくなり、彼女の夫に「仕事はやめて、もっと家事をしてほしい」と言われたそうです。彼女は仕事にやりがいを感じていたので「なぜあなたのために私がキャリアを捨てないといけないの?」と言い返したそうですが、なぜ女性だけがそういう風に言われないといけないのでしょう。おかしいですよね。結局その友人は離婚を決断したそうです。私は女性の皆さんに「あなたの人生はあなたのもので、人にそれを決める権利などない」と言いたいです。

いろいろなアクシデントに備えて、女性も自分の財産をしっかり管理していかないといけません。お金を稼げる体制さえ整えておけば、万が一、ご主人に急に離婚を言い渡されても大丈夫。まあ、お金がすべてではありませんが(笑)。私が仕事をしているのはお金のためというよりは、自分に自信をつけるためです。私は自分の人生に自信を持っているし、自信を持つことは生きていく上で大切なことだと思います。

ロゴ前

働くことで大切なのは、お金や成功ではなく
人生において多くの経験や出会いを得られること

―会社を今後、どのように成長させていこうと考えていますか。その計画について教えてください。

中村:まずは雇用を増やしていき、1年に20~30%ずつ成長させていきたいです。それと、労働環境をもっとよくしたいですね。常に改善していっているのですが、自分としてはまだまだ改善の余地があると考えています。ワーキングマザーもシングルマザーも男性も、弊社で働くすべての人にとって働きやすい環境を整えて、多くの人に「この会社で働きたい」と思ってもらいたいし、社員にも「この会社でずっと働きたい」と思ってもらえる会社にしたいというのが私の一番の目標です。これが達成できないと、ビジネスが拡大したとしても成功した気持ちにはなれないかもしれません。

そして、個人的にはさきほどのエンパワメントのように、女性のためのプロジェクトに関わっていきたいです。アイレディ(I LADY)という、女性が自分自身を大切にしようという活動にも参加しています。ただ女性だけでなく、男性も参加できるものにしないといけないと思うんです。女性だけで話し合うのではなく、男性が参加することで、女性の抱えている問題が男性に伝わり、メッセージとして広がっていくのではないでしょうか。

―中村さんにとって、働くことはどんな意味を持つのでしょうか。

中村:自分の自信がコントロールできるようになることが、私にとっての働くことです。働くことはお金を得ることだけが目的ではなく、経験を積んだり、人との出会いがあったり、それから様々なメッセージを受けたり送ったりして、自分が広がっていくチャンスなんです。働くことにはそのすべてが詰まっています。

そして私は常に人とは違うことがしたいと思っています。自分でなくてはできないこと、自分だからこそできたことを増やしていきたい。他とは違う、シバンズカルチャーをこの会社にくっきり残したいです。仕事をしていると、同じような提案が来ることがありますが、同じでは個性が出ているとはいえないし、人と違うことをしていかないと個性は残っていかないんですよ。

―かつて仕事がなくてドライフラワーを売っていたときから、環境が変わっても、「人とは違うことをする」という志は変わらないのですね。

中村:そうですね。もちろん弊社の社員にも個性はあります。私は社員のみんなに「まずはあなたの心を開いてください」と言っています。学歴やこれまでのキャリアは関係ないのです。あなたが私に心を開いてくれないと一緒に仕事はできませんという考え方です。それは一番大事なことで、それぞれのハート、仕事への情熱、やり遂げるモチベーションがわかれば、それぞれの個性も見えてきます。そして、それはすべて仕事に繋がっていくと思っています。