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みんなで成し遂げることが喜びに――子育てと仕事の両立に葛藤しつつも、新たなチャレンジを続ける映像制作ディレクター

長濱智子さん 40代  プロデューサー
LIFE STYLE株式会社


1997年、大学卒業後に大手映像制作会社へ入社。ミュージックビデオの制作に携わった後、1998年から親会社で音楽番組の制作ディレクターとして活躍。2004年にフリーランスの映像制作ディレクターとして独立。2009年、音楽雑誌の編集会社に入社し、2010年に第一子を出産。2012年に第二子を出産後、再びフリーランスに。2016年4月、LIFE STYLE株式会社に入社し、VR動画制作チームのマネジメントを担う。

現在、LIFE STYLE株式会社でVR事業に携わる長濱さん。新卒の時から、音楽番組のディレクターとして体力勝負の制作現場を数多く渡り歩いてきた映像制作のプロフェッショナルです。また、独立してフリーランスになってからも映像ディレクターとして活躍の場を広げてきました。これまで第一線で活躍してきた長濱さんが、ライフイベントで自分の仕事のスタイルを変えざるを得ない状況になった時、ご自身の中では様々な葛藤があったそうです。そんな彼女にお話を伺いました。

憧れの仕事へ
部活動のような毎日にぼろぼろになりながら無我夢中で走っていた

-長濱さんが映像ディレクターとしてキャリアをスタートされた経緯について聞かせてください。

長濱:新卒時に映像の分野に進みたいと思ったのは、子どもの頃から映画が好きだったからです。小学6年生の時、初めて一人で観に行った映画が「風の谷のナウシカ」。それからはどんどん映画にハマっていって、地元のレンタルビデオ屋に通っては、片っ端から映画を借りていましたね。そして大学でも映画を学びたいと考えて、日大の芸術学部映画学科へ進学。映像コースというビデオを主軸に学ぶコースに所属していました。

卒業後ももちろん映像業界で働こうと思っていたのですが、ある時、学食のケーブルテレビで流れていたミュージックビデオに衝撃を受けたんです。ミュージックビデオ黎明期だったこともあり、このビデオを制作した会社で私もミュージックビデオが作りたいと強く思いました。就職活動では何社か受けていたものの第一志望であったその制作会社に一番最初に内定をもらい運命を感じたため、そのほかの会社は全て蹴って入社することに決めました。無事に入社することができて、そこから怒涛のキャリアがスタートしました。

―「映画が好き」ということが原点だったんですね!憧れの会社で働き始めていかがでしたか。

長濱:最初に入社した会社ではテレビ番組を作っていました。でも、制作していたのが音楽番組だったので、リズム感やノリを大切にする音楽的な作法で物事を進めていたし、映像業界よりも音楽業界で勝負をしているという意識の方が強かったですね。

また、一見華やかにみえる業界ではありますが、仕事が忙しくて家に帰れないのが普通という状況でした。徹夜で仕事をしていてプレビューボタンを押した瞬間にいつの間にか寝ていたり、3日以上寝る暇がなかったりすることもありました。会社の床でも気持ちよく寝てししまうほど身体が疲れ果てていて、いつしかどこでも寝られることが特技になっていたほどです(笑)。ただ会社の床で寝るような生活を1年ほど続けていたら、かなりボロボロになりましたね(苦笑)。

チームは若いメンバーばかりで構成されていたので、会社では執務スペースを“子ども部屋”と呼んでいました。毎日夜中まで、音楽業界で勝負できる映像を追求しながら、子ども部屋で部活動のように熱気を帯びた仕事をしていましたね。ハードワークではありましたが、みんな好きで仕事をしていて、目の前のことを無我夢中でやっている毎日でした。

話しているところ

みんなでやり遂げる達成感と
言葉にできない感動、音楽、仕事に対する高鳴る意欲

―お話を聞くとかなりハードな環境だと思われるのですが、何が長濱さんをそこまで突き動かしたんでしょうか。

長濱:プロジェクトが 完成するたびに「みんなでやりとげた!」という達成感があるんですよね。私は、みんなで何かをすることが好きで、この「チームで達成感を共有できる喜び」が味わいたくて頑張っていました。

あとは、ライブが終わったあとの“人のいないホール”もかなり好きでしたね。

また、大きな野外音楽フェスに関わった時、そのフェスの主催者に密着したドキュメンタリーを制作することになりました。撮影のためにずっと主催者と一緒にいたんですが、なんとフェスの大トリのアーティストと一緒に私もステージ上に上がる機会があったんです。

まさか、ステージに上がることがあるとは思ってみなかったので本当に驚きましたね。そして、ステージ上から見た光景は今でも忘れられないほど印象的でした。大勢の観客の持つパワーに圧倒されて自分が生まれ変わったような気持ちになり、言葉にできないような感動を覚えました。

この経験があってから、音楽や仕事に対する意欲がどんどん沸いてきましたね。こんな貴重な経験ができる仕事に携われる喜びが自分の原動力になっていました。

新たな仕事をした、流れに身を委ね転がってみた
そしてわかった、仕事を通して自分が本当にやりたいこと

―音楽番組を制作しながら充実した毎日を送り、その後はフリーランスとして独立されたんですよね。

長濱:私はもともとフリーランスを目指していたわけではなかったんですが、“転がる石のような”勢いで独立してしまった感じですね。

ある時、社内で異動することになって、私はWEBやコンテンツ販売などを行う新しい事業を任されることになりました。でも、自分としてはディレクターの仕事をもっと続けたかったので、新しい仕事にチャレンジしてはみたものの驚くほどモチベーションが上がらず、申し訳なくなって半月ほどで会社を辞めることにしたんです。

独立した当時は、自分がまかさ独立するとは思ってもいなかったので、頭が冷えたら就職先を探そう、くらいの気持ちでいました。ですが、仕事が途切れることはなく、大きな仕事ややりがいのある仕事もいただくことができました。ただ、順調だった一方で、フリーランスでは個人レベルの仕事しかできないことに物足りなさを感じるようになってきたんです。

その時、もっと多くの人を巻き込んで、みんなで達成感を味わえるような仕事をしたいという自分の気持ちに改めて気づきました。そこでフリーランスをやめることにして、また会社員になることを決意し、知り合いの社長さんにお声がけいただいて音楽雑誌の出版社に入社することにしました。

カップ

子育てと仕事
「働きたい!」という気持ちと相反する子育て事情

―再び会社員に戻られた後についてお伺いさせてください。

長濱:会社員に戻ってからはミュージシャンのインタビューや対談の映像を制作してUstreamで配信したりする仕事をしていました。約2年在籍しましたが、産休・育休を取ったので、実質仕事をしたのは半年ほどです。上の子が1歳になる前に二人目を妊娠したので、会社に残ることを断念しました。そして、それが私の仕事人生の中の大きなターニングポイントになりましたね。

― ターニングポイントというのは、具体的にはどういったことでしょうか。