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どん底の中で見いだした“生きる意味”。やりたいことを後延ばしせず、「人のために何かしたい」という想いで駆け抜ける営業ウーマン

松原 萌衣さん 20代 コンサルタント
株式会社BNGパートナーズ


1989年生まれ。2013年、総合職で大手旅行会社に入社。サポートセンターで約1年間勤務した後、大学時代に発覚した病気の治療で1年の入院と8カ月の療養生活を送る。2016年に株式会社BNGパートナーズに入社。現在コンサルタント職で活躍中。

現在、BNGパートナーズで営業として活躍中の松原さんは、大学4年生の時に持病があることが発覚し、病気と向き合う中で生きる目的を見出すことができたそうです。企業や求職者が 「1番信頼できるパートナー」になることを目指して、日々奮闘している松原さんにお話を伺いました。

大学4年の年、完治しない病気の発覚
そして社会人へ

-まずは松原さんが新卒の時に旅行代理店を選んだ理由について教えてください。

松原:新卒で大手旅行代理店に入社したのは、私が子どもの頃から海外に興味をもっていたことが根底にありました。

きっかけは、小学校6年の時には1カ月ほど海外にホームステイしたことです。当時は全く英語が話せなかったのですが、言葉の問題だけでなく異文化でコミュニケーションをとることの大変さを学んだ経験になりました。でも、それと同時に自分が世界に少し近づけたと感じた経験でもありました。

また、子どもの時は伝記が好きで、いろいろな人の伝記を読みあさっていました。特に記憶に残っているのがマザーテレサで、今でも彼女のようになりたいと思っています。それ以外にも、中学2年の時に新聞で読んだアフリカの手足のない子どものことも記憶に残っています。それは、「手足はないが、医者になりたいという夢がある」という子どもの話でした。その時、こういう子どもを助けたいと思い、国連のような機関で働くことを考えるようになりました。

そして、高校の時には1年間カナダに留学し、大学はICUで人類学を専攻。在学中にタイに行ったり、卒論で南アフリカに行ったり、いろいろな国で現地の人にインタビューして、様々な価値観にふれることができた学生時代でした。

そのまま就職活動でも海外に目が向いていて「世界に挑戦できる環境」「何か新しいことができる環境」を探していました。大学で人類学を専攻していたので、人と関わる仕事がしたいと考え、その中で旅行業界を選びました。

-旅行業界ではどのような仕事をされていましたか。

松原:サポートセンターで海外のホテルや鉄道、アクティビティの手配などを代行したり、クレームの対応をしたりといった電話で直接お客様の対応をする仕事をしていました。

本当は電話でなく、店頭の仕事を希望していたのですが、大学4年の時に持病があることが発覚していた関係で、最初から店舗を担当するのは負担が大きいかもしれないという配慮でサポートセンター配属となりました。

話しているところ

「申し訳ございません」から「ありがとう」にもっていくことが使命
クレーム=お客様と分かり合うためのひとつの手段

-働くということを初めて経験して、どのようなことを感じながら毎日を過ごされていましたか。

松原:学生のときにスタジアムのアルバイトでスタッフのチーフをやったことがありました。そのアルバイトでは、スタジアムのお客様から怒鳴られることが日常茶飯事で、社会の厳しさを学ぶことができたと考えています。旅行業界の仕事も、ある意味その延長線上にあるという感覚がありました。ただ、アルバイトの時とは違って、旅行会社の仕事ではクレームを受けた際に「申し訳ございません」と真摯に対応することで、最終的に「ありがとう」と言ってもらえるという経験ができました。

クレーム電話では電話に出た瞬間から怒られることもよくあります。最初の頃は対応が面倒だと感じていたんですが、だんだんとお客様と分かり合いたいと考えるようになりました。せっかくサービスを利用してくれたお客様なので、お客様との最初の接触がたとえクレームだったとしても、そこからしっかりとお話しをすることで、変わっていきます。クレームもお客様と分かり合うためのひとつの手段ととらえ、最後は良い状態に変えていきたいと思い、日々試行錯誤でした。

クレーム対応では、辛抱強く話を聞いてお客様の話に呼応して、相手の気持ちを理解しようとするということが1番大切だと学びました。最初は怒鳴られても、最終的にはお客様から「ありがとう」と言ってもらえるように頑張ろうと思って日々仕事に取り組んでいました。

-クレームは「お客様と分かり合うための手段」という考え方は面白いですね。働き始めてから松原さんが感じた課題があれば教えていただけますか。

松原:かなり小さい課題としては、最初は電話が苦手で上手く話せなかったというものがありました(笑)。知り合いでもない、顔の見えない相手というだけでも、まともに話すことが難しいと思いますが、クレームがあるということは、相手が平常心でもないので、さらにコミュニケーションが困難。はじめの頃は、もう電話に出たくない、と思うことも多々ありました。やりがいを感じるために、セルフマネジメントには注力していました。

-当時の松原さんにとって、働く原動力はどういうところにありましたか。

松原:私の根底には「人が好き」という気持ちと、それに付随して「周りをもっと幸せにしたい」という考えがあります。

子どもの頃からの憧れのマザーテレサを意識しているのかもしれないです。なかなか真似できないと思いますが、どうしたらマザーテレサのようになれるのだろうと昔から考えていました。そして、私なりに出した答えが、彼女があれほど他人のために尽くし平和のために活動することができるのは、それを実行することでしか彼女の欲望は満たされないのではないかということでした。欲望は人によってさまざまですが、彼女の場合は、平和の実現であり、そして人並み外れた非常に強い欲望だったんではないかということです。そうでなければ、あそこまでの行動はできないのではないかと考えたんです。

そう考えるようになってからは、自分自身もマザーテレサに近づけるように、例えば「電話をかけてくれたお客様のために何かしたい」というような“成し遂げたい欲望”を意識するようにしていました。それがサポートセンターで働く原動力になったのだと思います。

プレゼンしているところ

「生きている感覚がなかった。こんな思いをするぐらいなら死にたい」と思ったことも
仕事を辞めて1年8ヶ月の病気との闘い、社会との断絶から見いだした生きる意味

-確かに、強い欲望がなければ、何かを成し遂げることは難しいですよね。この後、現職で働くまでのことについて教えてください。

松原:働き始めて1年経った頃、手術で1年ほど入院しなくてはならなくなり、その後さらに8カ月ほど療養して仕事から離れた時間を過ごしました。私の持病が痛みを伴う病気だったので、「こんなに痛い思いをするなら死にたい」と思ったこともありました。

入院中は何もできないので考える時間がたくさんありました。社会から完全に断絶されていると、「人間は何のために生きているのだろう」というようなドラマや小説でしか聞かない言葉が頭に浮かんでくるんです。当時の私は生きてはいるものの、生きている実感がほとんどなく、“社会との繋がり”に飢えていました。誰とも繋がらないと生きていけないと本当に強く感じました。

考えて、行動して、やりたいことを実現していく。そういうことができるのが生きる意味なのではないかと思いました。

3週間、彼氏以上に毎日電話した
「人生ってこんなに大変なんだ」

-松原さんの中で大きな意識の変化があった1年8カ月だったのですね。入院前と退院後でどのような変化がありましたか。

松原:改めて振り返ると入院前は、やりたいことがあってもすぐには行動しなかった気がします。入院生活を経てからは、やりたいことがあれば絶対に後回しにせず、今すぐ行動しなくてはならないという気持ちを強くもつようになりました。

そして、退院して最初の“やりたいこと”は営業としての力をつけることでした。営業の仕事は相手に「欲しい」と思わせたり、「自分と契約したら 良いことがある」と感じさせたりすることだと考えています。それは日本でも世界でも共通で、“いらない”と思っている人の気持ちを“欲しい”に変えるというのは、とてもすごいことだと思うんです。

私がBNGパートナーズを選んだ理由は、もちろん営業職ができるということもありますが、取引先にベンチャー企業が多いので、経営層や事業部長クラス以上の方にお会いする機会が多く、自分の人脈を大きく広げることができるのではないかと考えたからです。

自分の希望通り、営業で働き始めたんですが、ふたたび電話対応に苦戦するスタートでした(苦笑)。前職の時は、かかってくる電話の対応をすればよかったのですが、営業の場合は自分から能動的に電話をかけて話さないといけないので全く違いました。お客さんとの商談でも自分からリズムや雰囲気をつくらなければならないし、相手が必要なものを即時に判断して、そこに誘導できるような返答をする必要があって本当に大変でした。

-同じ電話の対応でも、全く新しい経験だったんですね。営業として仕事していて節目になった出来事はありますか。

松原:初めて求職者の内定が決まったことです。求職者の方から条件をヒアリングして、希望に合う求人を提案し、今度はその求職者を企業に推薦して興味をもってもらい、選考が行われて無事に通過することができれば、求職者に内定承諾の決断をしてもらうというのが基本的な仕事の流れになります。

その時の求職者は年収1,000万を超えるような方だったのですが、年収が現状の7割ぐらいになるけれど、やりたい仕事を選ぶか、やりたい仕事を諦め、将来の結婚なども考えて年収が上がるオファーを選ぶか、かなり悩まれていました。その方は最終的にはやりたい仕事を選択し、無事に内定承諾を貰うことができたんです。私が担当する企業から内定がでてから承諾期限であった3週間、彼氏以上に毎日のように電話をして何度も求職者の方と話しました。そのやり取りで、“人生をかけた決断”の重さをずっしりと感じました。

後日談ですが、私は内定承諾後、1週間熱を出して倒れました(笑)。求職者の方と一緒に人生を考えるというのは、こういうことなのかと理解できた経験だと考えています。この経験を通して、仕事を決めることは人生にとって本当に重要なことなんだと学びました。

ロゴ

一緒に人生を考える
1番信頼できるパートナーを目指して

-確かに仕事は人生の中でも大きなウエイトを占めるといわれていますよね。
松原さんが営業を始めてからの課題や目標について教えてください。

松原:実は私、人が好きなのに人見知りで、知らない人の前でニコニコ笑うことができないんです。今もまだ完全に克服したわけではないのですが、最初の頃はそこが課題だと感じていました。

仕事では年収レイヤーが上の方に会う機会が多いのですが、失礼がないようにと気負いすぎてしまって、堅苦しくなってしまうんです。いつも言ってはいけないことにばかり意識が集中していて、自分が話している内容に集中できない状態になっていました。でも、そんなコミュニケーションの取り方では、なかなか相手の本心を引き出せないと感じ、最近は硬くならないように、できるだけノリがよく話せるように意識しています。

また、これは弊社の特色だと思うのですが、求職者に対して職歴だけでなく、今考えていることや今後のキャリアプランなどすべてを聞いて、総合的に考えた提案を心がけています。今後は企業に対しても、社長からヒアリングして「今御社に必要なのはこういう人材です」と提言できるようになりたいですね。求職者にとっても、企業にとっても、BNGが1番信用できる人材紹介会社だと言われるようになりたいと思っています。

リラックス

キャリアを捨てない生き方
そして「人類を長生きさせたい」というテーマ

-今後のキャリアについて、どのようにイメージされているか、お伺いできますか。

松原:私はスペシャリストよりも、ジェネラリストを目指したいと考えています。例えば、結婚するときには東京にいられるとは限らないし、その時の状況に合わせて働く必要があると思うんですが、その時にもキャリアを捨てたくないと思っています。だから、いつでも自分のやりたいことができるような状況にしておきたいです。そのための方向性はスペシャリストではなく、ジェネラリストだなと。また、どんな環境でも仕事ができるというのは、究極的には会社を経営できる力をつけることも必要だと思うので、社長が近くにいる今の環境でいろいろと学んでいきたいと考えています。

-最後に松原さんの人生のテーマを教えてください。

松原:実は入院生活で“社会との繋がり”以外にもう一つ考えていたことがあって、それが“人類を長く存続させたい”というテーマでした。私の根底には“人が好き”という気持ちが根強くあって、それは、私の中で人類が長く続いてほしいということに繋がっています。存続するためには、人類が精神的に幸せであることが何よりも大切で、幸せな状態であれば人類は存続していけるはずです。でも、精神が健康でない状態は不幸せだし、その状態が続いてしまうと存続できないのではないかと思っているんです。

私がそのテーマについて考えるようになったきっかけは、社会人になったばかりの頃、同時期に社会に出た同級生がどんどんうつ病になっていったことでした。当時、私は既に持病を抱えていたので、身体自体は健康ではなかったのですが、精神が健康でない人のほうが私には健康じゃないように見えました。うつ病になった友人は「人が怖い」、「会社にいくのが怖い」と言っていて、環境を変えることを提案しても、「違う環境でも、また同じことになるのが怖い」と言い、とにかく「怖い」から新しい一歩を踏み出せなくなっていました。

それで、そんな状態になってしまった人たちに視点を変えるきっかけを与えられるようになりたいと考えたんです。まだその方法が見つかったわけではないのですが、その何かを早く見つけたいです。

手足がなくても夢をもっている子どもが世の中にいるんだから、持病のある私でも何かできることはあると思います。人類を長く存続させるための第一歩として、まずは周囲の人たちを幸せにしていきたいです。

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