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持ち前のリーダセンスで紆余曲折を乗り越え、女性が活躍できる社会を目指して飛躍を続ける代表取締役社長

井島 郁子さん 40代 代表取締役社長
MRT NEO株式会社(MRT株式会社子会社)


1998年に静岡県内の雑誌広告媒体を運営する広告代理店に営業・ディレクター職で入社。その後、営業スキル向上のため2003年に大手生命保険会社に入社。営業を5年間経験した後、2007年に業界最大手の携帯電話代理店に転職。営業からマネジメントにまで幅広く携わり、7年間在籍。結婚後しばらく勤務したのちに退職。その後夫と共に上京し、2014年、MRT株式会社に転職。アルバイトで入社するもその実績を買われ、現在は子会社代表取締役社長・本社経営企画室長・本社人事責任者を務める。

20代の頃から「早く30歳になりたい」と思っていたという井島さん。持ち前のリーダーシップを発揮し、これまでのキャリアを築いてきました。現在の会社にはアルバイトで入社し、わずか2年足らずで子会社代表取締役社長に就任したというスーパーウーマン。自分のやりたいことに対してはキャリアダウンも恐れずに進んできた井島さんに、これまでのキャリアと今後のビジョンについて伺いました。

とにかくおもしろい仕事がしたいだけだった私が、
あるオーナーの一言をきっかけに本格的な営業の道を歩むことに―

-新卒でご入社された会社はどのようなご意向だったんでしょうか。

井島:当時の私は今の大学生に比べると恥ずかしい程なにも考えていなくて、お金はいらないから、おもしろい仕事がしたいとしか思っていませんでした。1日8時間ということは人生の1/3の時間を働くことになるので、それなら、おもしろい仕事がしたいという程度の非常に浅はかな考えだったんですよね(笑)。

そして、当時は事務職がよく着ていた制服をどうしても着たくなくて、スーツを着て企画のようなかっこいい仕事をすることに憧れていました。その時代はちょうど就職氷河期に入ったところで、学生起業やITバブルの走りだったので、社長になることにも少し憧れがありましたね。

そんなとき、就職活動でおもしろいことができそうという理由で応募した静岡県内の広告代理店で、偶然にも中学の恩師が副社長をやっていたんです。私のおもしろい仕事への熱意が伝わったのか、4年生になったばかりの4月には内定をもらえたので面接もその1社のみしか受けていません。

-そのような偶然があったんですね! そこからはどのように進んでいったのですか?

井島:内定をもらってから1年間はその会社でアルバイトをしていました。そのときは雑誌の無料のパブリシティページを担当して、プレゼントページや読者ページのライティング、簡単な撮影などをしました。最初のうちは言われたことをそのままやっていただけでしたが、途中からは自分でアイデアを出せるようになりました。

その頃の仕事といえば、先方に「プレゼントページの商品を無料でもらえないか」という簡単な交渉をしたり、取材に行って試食させてもらって記事を書いたりと、今思えば楽しいことばかりでしたね(笑)。

そのうちにだんだん客先で雑誌の有料掲載について聞かれるようになりました。最初はそれを営業の先輩につないでいましたが、いつの間にか自分で仕事を取ってくるようになりました。

そのときに自分が営業をしているとは思っていなかったのですが、あるオーナーさんから「自覚がなく、営業をするのは失礼だ! 」と怒られたことがありまして……。それからは、営業としての意識をもつようにしました。

話しているところ

泣きながらの営業活動
キラキラ輝いている30代女性への憧れがモチベーションに――

-そうだったんですね。アルバイト期間を終えてから、業務に変化はありましたか。

井島:はい。入社1年目からは枠売り広告ページの営業と簡単な企画の一部を担当していました。当時の社長に「営業力がないから、とりあえず毎日10店舗回ってこい」と言われて、それを馬鹿正直にこなしていました。飲食店ばかり10店舗選んでしまうと、混雑する時間が重なってうまく回れないので、美容院に行ってから、次は飲食店でその後に居酒屋とバーといった感じで、自分なりのスケジュールを組んで回っていましたね。そして半年後には顔パスで行けるお店が500店舗ほどになっていたほどがむしゃらにお客様のところに足を運んでいました。

営業していて気づいたことがあって、店舗側には「無差別に広告枠を売りに来た」と思われてしまうことが多いんです。それを打開するために、当時草分け的な存在だった「割烹居酒屋」や「隠れ家ダイニング」だけを厳選し、5店舗のみ掲載するという見せ方をご提案しました。それまでも簡単な企画はしていたものの、こんな風にお客様の声を反映した“本当の意味での企画”ができるようになったのは、入社2年目頃だったと思います。

-なるほど。最初は乗り気ではなかった営業を本格的にやることになって、心境に変化はありましたか。

井島:ある時お店のオーナーに「そちらから見れば何店舗もある中の1店舗かもしれないけれど、自分はこのたった1つの店を維持するために頑張って、やっと捻出した広告費なんだからもっと大事に使ってくれないと困る」とご指摘を受けたことがあったんです。今思えば、この時初めて売上に対しての費用のあり方を意識した出来事でした。

そのときは、とにかく怒られたことが悔しかっただけだったんですが、それを会社に戻って社長に伝えたら、オーナーのいう通りだと言われました。“経営者”という存在に初めて触れられた気がして、お金をもらうためには信頼関係が必要だということを実感しました。

それからは営業に取り組む姿勢も変わり、お店のこだわりやクローズアップしたいことを理解した上で、オーナーに満足してもらえる広告を掲載するにはどうしたらいいかを考えるようになりました。5万円という小さな広告枠ではありましたが、お客さまにとって有益なものにしたいし、一緒に作っていきたいという気持ちに変わりましたね。

-そのオーナーの言葉から気づきを得られたんですね!
当時、仕事のモチベーションにしていたものがあれば教えてください。

井島:当時はとにかく「怒られたくない」と思っていて、悔しさをバネに頑張っていたように思います。なにをやっても怒られてばかりだったので、犬がお手をして褒められているのを見てうらやましい気持ちになったこともありました(笑)。とにかく何をやっても上手くいかなかったんです。アポイントの効率も悪いし文字のミスもあったりして、いつも怒られていました(苦笑)

あとは、20代前半のうちから、早く30代になりたいと思っていました。ネイルサロンのオーナーや、イタリアンレストランのソムリエ兼オーナーなど、30代の女性たちがとにかくキラキラと輝いて働いているように見えたんです。仕事のノウハウも蓄積されているし、ライフスタイルやファッション、ご飯の取り分け方ひとつ取ってもかっこよく見えて。

それに比べて自分がまだまだ子どもだと感じ、早く30歳になって彼女たちのように輝きたいという憧れをモチベーションにしていました。ここでは「仕事の基礎」と「ディレクション業務」を通じて“0を1にする”ことを学んだと思っています。

それでも、労働環境が過酷だったので辛くなることもありました。当時は雑誌も作っていたし、今のようにWEBの技術も発達していなかったので、なにをするにも時間がかかって、残業や土日出勤もかなり多かったんです。お金はいらないから、おもしろい仕事がやりたいと思って入社したにも関わらず、この先ここでやっていけるかという不安もあって、悩んだ末に退職することにしました。

UP

最年少マネージャーの指導の下、
入社まもなくして成約!営業の基礎を叩き込まれる

-転職先に「生命保険の営業」という全く違った業界を選んだことにはなにか理由があったのでしょうか。

井島:最初の会社の社長が「保険営業には相当な気配りが必要」と言っていたので、営業という職業を極められるかもしれないと思ったんです。私は、こんな風に行きあたりばったりなタイプなんですよ(笑)。ちょうど営業先の飲食店に保険屋さんが来ていたので、そこから紹介してもらって入社しました。

入社してみると、その保険会社にはその月に120人が入社して、半年後にはたった5人しか残っていないという厳しい環境でもありました。その一方で、主婦や営業未経験の人でも、しっかりとした営業マンに仕立て上げる教育体制がすごくて、私はその仕組みを知りたいという気持ちになりました。長くいる人は本当に長くて60歳をすぎても続けているし、成約が取れなくて身近な人にばかり頼って、すぐに辞めてしまう人もいるという感じで、完全に二極化していましたね。

私は入社してから当時35、6歳の最年少マネージャーにガツガツ叩き込まれました。そして、昼休みを狙って省庁に出向き、飴やアンケートを配ったり、提案書を持っていったりしていたら、入社2ヶ月目ぐらいで最初の成約が取れたんです。こんなに早く成約が取れることはなかなかないみたいで、そこで期待値がバンと上がりましたね。

-すごいですね!それからも順調に成果をあげられたのでしょうか?

井島:それが、そこで少し調子に乗りすぎてしまったんですね。新規のお客様開拓をしなくなってしまったんです。自分の担当している既存のお客さまだけでどうにか毎月の売り上げ目標数字を達成できると思ってしまったんです。

その当時の上司から「1本の成約を取るためには30人にアンケートを取りなさい、そこから10人に設計書を渡して、3人から今入っている保険証券のコピーをもらいなさい」というピラミッド構造について叩き込まれるんですけど、これを怠ってしまうんですよね。そのときには怠っている自覚すらなくて、営業数字がうまく伸びないと「営業スキルが足りないから売れないんだ」と思ってしまっていたんですが、単純に基礎が疎かになっているだけなんです。

-そうなんですね。営業成績が思うように上がらなくても仕事を続けられた理由はなんだったのでしょうか。

井島:この仕事は何よりも自由が利くことが魅力でした。また、保険の知識が身につくのも嬉しかったですね。保険は商品の性質上、病気にすでにかかり、現時点で保険の必要性を感じている人の加入が難しいのです。加入できたとしても金額が高かったり、選べない保険商品もあるので、今は保険のニーズがない20代の健康な人に対して、どうやったら売れるかを考えることにやりがいを感じていました。当時は基本的には先輩の営業スタイルを真似していましたね。

実は保険営業は半分個人事業主みたいなもので、かけたコストは自分で負担するんです。会社を巡回して配った飴やアンケートのコピー代、支給されているパソコンのリース代金まですべて自分で払っていたため、成績を維持できないと生活はきつかったですね。実家に暮らしていたので何とか生活はできていましたが、自分の実力ではこのままずっと続けることは難しいと感じはじめ、次を考えるようになりました。結局5年間も続けられたというのは、自分でもよくがんばったと思いますね。

2人

営業に疲れ、守られている環境に惹かれ派遣の道へ―
今までのキャリアの経験が活かされ、花開く

-保険会社の5年間を経て、そこからまた違う業界に入ったのはなぜですか。

井島:保険会社で少し疲れてしまったので、次は時給が安定していて会社のサポートもある派遣というスタイルで働きたいと思いました。ちょうどその時、量販店の携帯コーナーの巡回や管理をする「ラウンダー職」の募集を見つけたので、やってみることにしました。

-今までがバリバリの営業で、そこから派遣にキャリアチェンジすることに対して不安はありませんでしたか。

井島:キャリアダウンという意識はなくて、今思えば保険営業をしていた時よりも楽で安定した生活がしたいという「目先の欲」しかなかったんです(笑)。新しい仕事は、保険営業のようにニーズのない人に売りにいくわけではなく、売り場に携帯を買いに来た人に売るので、売るのは難しくないだろうと思っていました。

-確かにそうですね。そんなラウンダー職で入社したにも関わらず、営業やマネジメントを任されるようになったことにはどんな経緯があったのでしょうか。

井島:徐々に欲が出てしまったんですね。入社してしばらくしてからライトな業務からよりマネジメント力を必要とするような仕事を任されるようになりました。当時も厳しい上司の元でしたが、自分の店舗に対しての数字やレベルアップを常に意識する環境にかわっていきました。

在庫管理やディスプレイ作りから始まり、スタッフの採用や教育指導までおこなっていました。現場のリーダーを育てないとどうしても右往左往してしまうので、特にリーダー教育を重点的にやっていましたね。そして、売上を数字化して分析していくことも大事な仕事でした。さらに、店舗でのイベントのディレクションをすることもあり、かつての2社で学んできたことがここで一気に活かされました。

そこでは、パートナーと提携してイベントを作り上げていくことを学びました。イベントを作り上げるためには自分たちだけではなく他社との連携が必要で、その相手が携帯キャリアや量販店の人たちでした。数字を上げるためには、お互いの立場を尊重していくことが不可欠でしたね。最初はそういった関係性や組織作りにいちいち戸惑っていたのですが、組織の体制やカラー、各担当者の置かれた立場を理解することで見えてくるものがありました。あとは営業や上司の商談に同行することで、徐々に経験値が上がっていったように思います。

初めてのマネジメント経験
学生時代から培った持ち前のリーダーシップ能力が発揮

-未経験だったマネジメントまで一気に任されることになって、不安や挫折はありませんでしたか。

井島:マネジメントには仕事以外の経験が役に立った気がします。実は私は中学生の時に生徒会副会長だったんです。就職活動の時に企画の仕事をやりたがっていたのは、生徒会を作るのが楽しかったからということもありました。高校では器械体操部で部長をやり、大学時代でもダンス部の部長と器械体操部の副部長を兼任するなど、学生時代はリーダー経験が多かったんです。

ダンス部部長をやっていたときは、せっかくだから自分たちの代だけで終わらないようにと5カ年計画を構想し、組織作りに近いことをしていました。自分なりの理想のリーダー像を考えては実践してみていましたね。

部活でも以前の保険の会社でも女性が多かったので、女性に好かれる上司がどういうものなのかを見てきました。自分が後輩を指導するときにはよかったことも悪かったこともきちんと伝えることを意識しています。リーダー教育するときには一緒にご飯に行く機会を作り、相手の抱えている悩みを極力細部に渡り共有し、本音を出しやすいようにすることを心がけていました。

自身のキャリアを通じて感じた女性リーダーの壁
ある一冊の本をきっかけに生まれた女性リーダーを生み出す社会貢献への気持ち

-さらに次のステップにキャリアチェンジしたのは、どんな理由があったのでしょうか?

井島:当時静岡におり、静岡の営業所を管轄している名古屋支社に異動という話も出ていたのですが、ちょうどそのときに私が結婚したことでいつの間にかその話も立ち消えになってしまったんです。名古屋の話がなくなった時に、食い下がればよかったんですが、なんだか一気にガッカリしてしまって、夫の仕事を手伝うなど、次に自分が活躍できる場所を探すことにしました。

そして、夫の仕事の都合で静岡から東京に行くことになったとき、ターニングポイントとなる一冊の本に出会ったんです。

それがフェイスブックのCOOであるシェリル・サンドバーグという女性がが書いた『LEAN IN』という本でした。そこには自分がこれまでずっと感じていたことが書かれていたんです。何となく出しゃばりすぎてはいけないという気持ちが、女性にはあり、そういう社会的な風潮もあるということを指摘していました。

私自身もそう思っているところがあって、前の会社の会議で営業マン30人が集まった時に女性は私だけで、輪の中心にいくのは図々しいと思われるような気がしていました。名古屋支社への異動の話がなくなった時に食い下がれなかったのも、どうせ私は女だからという卑屈な考えもあったと思うんです。

その『LEAN IN』には、そういう女性が大半だということが書かれていて、社会の中で女性が中心になれるような環境を作らないと、女性のリーダーは出てこないと書かれていました。男性のリーダーばかりでは、その環境がそもそも作れないし、それでは永遠に女性のリーダーが出てこないというのが現実で、それを解決できるような仕事はないかなと思った時に、主人から社労士を勧められたんです。

今の私は経歴も全部中途半端だから、「何かひとつ信頼できるものがないと誰も話を聞いてくれないかもしれないよ」と言われて、労働の分野を扱う社労士免許を取得することに決めました。学校に通う交通費くらいは自分で稼ごうと思い、当時通っていた資格の学校の近所にあった会社でアルバイトをすることにしたのですが、それがなんと今の会社です。

歩いているところ

通学の交通費を稼ぐために始めたアルバイトがまさかの転機に―
叶えたい夢は実はすぐそばにあったことに気づかされる

-そんな出来事があったんですね! そこからアルバイトで入られて、今のキャリアに至った経緯を教えてください。

井島:11月には社労士の試験に合格するつもりだったので、4月から11月の期間で働かせてくださいとお願いをしていました。アルバイトではなるべく淡々とこなせる仕事がいいと思って、封入作業とデータ入力をしていました。11月の合格発表では1点足りずに落ちてしまって、かなりショックを受けましたね。ただ、そのときは受かるかどうかの瀬戸際だったので、就職活動も並行しておこなっていたんです。

今の会社からも正社員で働かないかと誘われ、2015年の1月に正式に正社員で入社しました。入社後、リーダーのポジションのオファーをもらったのですが、まだ社労士を諦めてはいなかったので泣く泣く断りました。それなのに、アルバイトがアルバイトに仕事を教える仕組みを提案するなど、やはり仕事がしたくてしょうがなかったんです。

-そうだったんですね。試験勉強と正社員での仕事の両立という中で、転機になった出来事はありますか。

井島:1月に入社して4月に控えた大きな企業展示のディレクションを全部任されることになりました。テストがあるのに大丈夫かなと思いながらも、結局展示会後の打ち上げまで先輩の力を借りながらなんとか最後までやりました。その時に、一人ずつの功績を称えたくて、この人はこういうことをやってくれたというのを打ち上げの場で披露し、社長にも登場してもらいました。

後日、社長から面談で「君はどうなりたいの?」と聞かれて「もっと仕事をしたいです!欲もあります!」と伝えたら、なんと中長期の事業計画を作るというお題をいただきました。事業計画など作ったことがなかったので、慌てて本屋に行って事業計画の本を片っ端から買って勉強しました。

作った事業計画を社長に提出し、直接指導をいただくという、今までの人生では考えられないような大きなチャンスでした。

試験は今度は3点も足りずに落ちましたが、その時完全に社労士に諦めがつきました。私が「LEAN IN」を読んで人生を考え、社労士になってなにかしらの貢献をしていきたいと思っていましたが、この会社でいただいた大きなチャンスを活かしていくことの方が実は近道なのではないかと気づいたんです。

また、社長をはじめ、社員みんなが、医療に貢献していこうという熱があり、まっすぐな人ばかりのこの会社から離れがたいという気持ちもありました。

いくつものポジションを兼任し、めまぐるしく過ぎていく日々
走り続けて感じた自分が本当に望んでいたこと

-そこで自身の方向性が確立されたんですね! そこから今日に至るまでのことを教えてください。

井島:そこからはもう怒涛のような毎日でした。アルバイトから所属していた、医師会員に向けたプロモーションを行うグループのマネージャー、経営企画室長、子会社である「MRT NEO」の代表取締役と次々に大きな役職に抜擢していただきました。

弊社は、年齢も性別も社歴も関係なく、やる気とコミットがあれば手を挙げたものにチャンスが与えられるという環境があります。その分責任も重くなりますが、チャレンジをさせてもらえるというのは本当にありがたいことです。

子会社が運営するサイトのリリースや遠隔診療・健康相談サービスの記者発表会、グランプリを獲得した経産省主催厚労省協力のジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト2016など、今まで体験したことのない大きなイベントがたくさんあり、とにかく激動の日々でした。大変でしたが、会社としても重要な出来事に参加し、チャレンジさせてもらえることがとにかく嬉しくて、ここに来るために今までの人生があったんじゃないかと今は思っているんです!

ロゴ

女性が活躍できる社会へ―
女性リーダーのロールモデルになれるようこれからも前進することを諦めない

-ここまで激動の人生を送られてきて、今後描かれているキャリアプランについてお聞かせください。

井島:今はまず経営陣のイメージしているものを形にしていけるようになりたいと思っています。事業を通じて女性のリーダーシップがどうあったらいいのか追及していきたいとも思います。現時点で点数をつけるなら50点ぐらいの段階なので、これからも貪欲に上を目指していきたいですね。

私は仕事もプライベートも全力で楽しみたいと思っています。ただ仕事で納得いかなかったことは仕事でしか返せないと思っているので、そこはもうとことんやって、前に進むしかないですね。本当はペースを決められたらいいのですが、特に決めずにその場その場で全力を尽くしてきた感じです。これから会社がぐっと大きくなっていくタイミングに関わっていたいという想いがあるので、きっとずっと仕事を続けるんじゃないかなと思っています。日々の波はあったとしてもやりたかったこと楽しくやれている嬉しさはありますね。

あとは女性が多い職場なので、女性がよりよく働ける環境づくりもしていきたいですね。ワークライフバランスといっても、無理なく安定的に働きたいという人もいれば、バリバリやりたい人、どっちもやりたい人、といろんな人がいると思うんですよ。医療に貢献する人材を育てていくことが会社のミッションでもありますので、様々な環境の方が様々な関り方をしていけるように経営陣と共により良い仕組み作りをしていきたいと思います。

井島さんの『Women Book Lists』はこちら