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デジタルから空間まで、アートディレクションなど常に新しいテーマにチャレンジして、自分の可能性を広げ続ける敏腕デザイナー

今野 千尋さん 30代 デザイナー
株式会社PARTY


1986年生まれ。幼少の頃から絵を描くのが好きで、美術系の大学に進学。卒業後、難関の奨学金制度に受かり、イギリスの大学院でインフォメーショングラフィックスを研究する。帰国後、2011年に株式会社PARTYにインターンとして入社。3カ月後、担当したプロジェクトを完遂し、正社員として最先端のデジタル技術を活用した広告提案や空港の新規ターミナルの空間デザインなど様々なプロジェクトに携わる。

これまで、日本初上陸のジムや成田空港内ターミナルのデザインなど、数々のプロジェクトに携わってきたデザイナーの今野さん。経験を積んでいく中で、ご自身の視野とともにキャリアの幅も広がってきたそうです。今までどのようなキャリアを築いてきたのかについて、今の仕事につながる原点を振り返りながらお話ししていただきました。

“絵のプロを目指す”学生時代からの目標とアートディレクターとの出会い

-デザイナーとしての道を歩むことになった経緯について教えてください

今野:小さい時からとにかく絵を描くことが好きで、もっと上手くなりたいと思っていました。そんなとき、美大という選択肢があることを知ったんです。

地方の私が東京の美大へ行くためには、早くから準備することが必要だと感じていたので、高校進学の時に、美術科のある学校に行きたいと親に話したんですが、早い段階で進路を絞ることに反対されました。美術を専攻して、後で気が変わったときに選択肢が少なくなることを憂慮していたようです。三者面談でも、「特に秀でているわけではないから」と先生の目の前で否定されて、とても悔しかったのを覚えています。結局、高校は普通科に進みましたが、「絶対に美大に行く」と決めて、ずっと絵を描き続けていました。

実は中学時代から雑誌やコンペに作品を応募していて、小さな賞をもらったり、イラストを描く仕事をしていました。大学のオープンキャンパスで上京するときも、ついでに編集者の方にアポを取って作品を見てもらっていました。プロという目標に近づけるように出来ることをいろいろやっていました。

-大学進学であったり、編集者とのアポだったり、自分の軸をしっかりもって動かれていたんですね。続きを教えてください。

今野:そうですね。当時、私は仙台に住んでいたんですが、美大の実技試験は少し特殊なので、地方から東京の美大を目指すのはかなり難しいと言われていました。東京にはノウハウもあり、規模の大きい美大専門の予備校がたくさんあるんですが、わたしの通っていた仙台の美術予備校は、夜間のクラスに生徒が5人だけで、油絵の先生にデザインを教わっていました。希望する学科に合格できなかった時に、やっぱり東京に行かないと思い、「東京の美大に入るため」と親を説得して、1年浪人を許してもらい、翌年合格することができました。

入学後も”絵のプロを目指す”ということを考えていたんですが、大学1年の夏に、広告代理店のアートディレクターの撮影を手伝う機会があったんです。そこで、リアルなものづくりの現場を見ることができました。絵を描く以外の表現、もっと立体的な構造物とか、空間を含めた体験とか、人とコミュニケーションをとりながら作品を作っていくとか、作るものの種類も1種類じゃなくて、いろんなメディアに展開していくデザイン。そういう作り方を知ることができて、すごく視野が広がりました。アートディレクターって、アイデア次第で表現の可能性が広がる職業なんだなと、そこで面白いなと思い始めて、アートディレクターになりたいと思うようになりました。

“絵のプロになる”というイメージがより磨かれて、絵の中で表現したかったことが立体的に変化し、次の目標がクリアになった出来事です。

話しているところ

内定後の晴れない気持ちから一転、
偶然の連鎖、海外留学×給付型奨学金

-アートディレクターになりたいという出来事から、現在はデザイナーとしてご活躍されていますが、どのような経緯があったのでしょうか?

今野:大学3年の就職活動では、主に広告代理店を受けました。理由としては、前述のアートディレクターが広告代理店の方だったことと、たまに制作のお手伝いをさせて頂いていたプランナーの方も広告代理店の方で、物の見方や働き方に影響を受けていたからです。面白い人が集まっている場所なのかも…と。

プランナーの方は、本業とは別に、自分のボーナスを使って個人的にアイデアドリブンなプロダクトを作る活動をしていらっしゃいました。アートディレクターはビジュアル優先で物を考えがちですが、その方からはアイデアの大切さに気付かされました。いくら表面を磨いても、アイデアが面白くないとだめだなと。それで、「こういう人と一緒に仕事がしたい」と思ってそこの会社を受けたんですが、最後で落ちてしまいました。

他に内定を頂いた会社もありましたが、自分の目標を考えるとこのまま就職していいのかと迷っていて、そのプランナーの方に話したら「海外に行ってみたら?」と言われたんです。確かに、どっちに進んだ方が1年後の自分はおもしろくなるだろう、と考えたときに、このままずっと晴れない気持ちで日本にいるよりも、海外に出た方が面白い経験が積めるかもしれない、と思いました。そこで内定を断って就職活動もやめ、急遽海外に行くための方法を探し始めたんです。

-就職活動が一変して海外留学。本当に大きな決断ですね。