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“まず相手が何を求めているのかを徹底的にリサーチすること“で築き上げたキャリア。 5年もの専業主婦期間を経てより豊かな人生を送る生き方

一井葉子さん 40代 代表 
からだデザイン研究所


1968年生まれ。大学在学時からフリーでテレビ、ラジオ等のMCナレーターとして活躍。大学卒業後、1990年大手化粧品会社神戸支店に入社し、営業職を経験、その後1993年から東京本社人事部で採用教育に携わる。
製薬会社での契約社員勤務、翻訳通訳会社の人事システム構築、フラワーアレンジメントスクールの講師を経て、2008年からだデザイン研究所を立ち上げ、現在に至る。

MCナレーター、営業、人事、派遣、フラワーアレンジメント講師から、ホリスティック医学による美と健康のサロンの経営者に。多彩なキャリアでお仕事もバリバリな一井さんですが5年の間、専業主婦をしていた期間があったそうです。そんなご経歴をお持ちの一井さんに今に至るまでの経験をお話ししていただきました。

引っ込み思案な小学生が放送部でのDJ活動をきっかけに
言葉の表現する喜びに目覚め、性格が激変!

―実に多彩なキャリアをお持ちの一井さんですが、まずは大学時代にDJやナレーションのお仕事をされていたのですよね。最初はアナウンサー志望でいらしたのですか?

一井:そうです、アナウンサー志望でした。私は小学生の頃まで、とても引っ込み思案でいつも母の後ろに隠れているような女の子でした。

変わったのは小学5年生のとき、担任の先生が放送部の顧問で放送部に誘われて入部したことがきっかけでした。6年生と火曜日の昼食タイムの放送を担当したんですが、これまでの校内放送とはちょっと趣向を変えて、DJ風の放送にしたら、すごく人気が出たんですよ。当時は深夜ラジオがとっても流行っていたしね。
小学生のお昼休みはみんな校庭に遊びに出ちゃうじゃないですか。でも火曜日だけはみんな教室で私たちの放送を聞いてくれて。そのときに「人に対して自分の言葉で発信していくことはおもしろい」と思ったんです。

―DJがきっかけで自信がついたのでしょうか。

一井:そうですね。6年生になったときは、放送部を続けながら、学芸会の総合司会もできるくらいになりました。お友だちに「葉子ちゃんの声は綺麗だね。お話し上手だよね」って褒めてもらえるようになって、人前で話すことへの苦手意識が消えたら、性格もガラリと変わって、自分の考えを語れるようになり「自分はこういうことがやりたいんだ」と思うようになったのです。

得意のナレーターの仕事をフリーランスでやろうとするも、
父に猛反対にあいしぶしぶ就職

―アナウンサー志望という気持ちは、大学生のときのナレーターなどのお仕事にも繋がっていくのですね。

一井:私が大学2年生くらいのとき、ちょうどバブルがはじける直前で、すごく景気が良かったんですよ。大学生でもアルバイトですごくいいお給料もらえていたし、その中でもナレーターやMCのお仕事はとても良かったんです。私は「将来はアナウンサーになる」と言っていたので、テレビ局やラジオ局のお仕事を紹介していただきました。女子大生は今でいうJKのような存在で、メディアの注目の的だったのでお仕事もどんどん入ってきたんですよ。

―でも就職は大手化粧品会社ですよね。それはどのような経緯で?

一井:私自身は、このまま神戸でフリーアナウンサーとしてやっていけるから、就職しないでこのまま続けようと考えていました。ところが父の猛反対にあったんです。私の父は昭和一桁生まれの頑固を絵に描いたようなタイプ。フリーランスなんて、今は驚かれもしませんが、私の大学時代は親に理解してもらえなかったんです。「そんないいかげんな仕事、とんでもない!」って一喝されました。それで、仕方がなく一般企業に就職することにしたんです。

仕事のやる気はほぼゼロ
はっきり物を言う性格とトークの巧さ、要領の良さで乗り切った新入社員時代

―就職されたのは化粧品会社でしたよね?

一井:はい、大手化粧品会社に就職を決めました。バブル期なので企業は良い学生を獲得するために、学生たちへのアピールを一生懸命していた時代でした。私は就職するつもりがなかったから、かなりスタートで出遅れましたが、ササっと入社が決まりましたね。ただ渋々就職しているから「入社してあげましたけど、何か?」みたいな、かなり上から目線の新入社員で生意気でした(笑)。

―希望していなかった就職だったから「こうなりたい」というイメージはなかったと思うのですが、神戸支社の営業職からスタートされていますよね。当時、どんな風に仕事に取り組まれていたのですか?

一井:入社した会社は研修に力を入れていて、当時は新入社員研修のうち、最初の数週間は会社の研究所でマナーやメークを学んだりして、その後全員が全国の支店配属になり営業の経験をする営業研修を受けていました。その都度、人事教育担当者が様子を見に来るのですが、私はこのときこの仕事に対して情熱がないから「いつやめてもいい」くらいの気持ちで、意見も包み隠さず言うし、全て本音で話していました。それが「斬新な意見」と言われ、さらに大学時代にナレーターやっていたから人前で話すのも得意で常に堂々としている新入社員だと思われたみたいです。

―すごいですね! それで営業職へ?

一井:営業研修に配属される前に、希望の支店を第三希望まで出せるのですが、私は当時、神戸にお付き合いしている人がいたので、第一希望から第三希望まで「神戸、神戸、神戸」と書いて提出しました。そうしたら先輩に呼ばれてすごく怒られました。

「第一希望から第三希望まで書く意味わかっていますか?」と。「私は神戸以外で働く気持ちはないです」とお伝えしたら、「そういう態度は仕事をする上でよろしくない」と言われまして。でも私は神戸以外だったら、会社をやめようと思っていましたから、何を言われても全く平気でした。今思えば、嫌な新入社員だったなあと思います(笑)。

―でも神戸支店勤務になるんですよね。

一井:はい、まだ研修期間でしたが、言ったもん勝ちだと思いました(笑)。

新入社員の営業研修は、まず売ることの難しさを学ぶということで、研修では飛び込み営業をしました。5万円する化粧品のセットを2セット売るのがノルマ。最低2セットなので何セット売ってもよくたくさん売れば達成旅行というご褒美があったのですが、私は興味がなかった。きっちり2セットだけ販売して終わりました。本当にどうしようもない新人ですよね(笑)。

―当時、営業の仕事は向いていると思いましたか?

一井:全然思っていませんでしたね。研修期間を終えたとき、本社勤務になるとばかり思っていました。ところが神戸支店の支店長が「お前はここで営業を続けろ」と。私は「絶対に営業に向いていません」と言ったんですが「この会社で伸びて行こうと思ったら営業として一流にならないとダメだ」と言われたんです。「本当かなぁ」と半信半疑でしたが、会社が決定をしたことだし、従うことにしました。これが結果的に私のキャリア形成になくてはならないことになりました。

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営業に苦戦する中、上司からの 一言が自分の人生の礎となる

―具体的にどのようなことですか?

一井:神戸支店の支店長が素晴らしい上司で、一人一人の個性を伸ばすように配慮してくださいました。支店長はクライアントの社長のことは熟知していますから、相性の良さそうな新入社員を担当につけるんですよ。私たちはその社長に営業をして、傘下の販売会社を動かすのが仕事なのですが、上司がそれぞれの社長に育ててやってくださいねと担当にしていたんです。私は営業職として2年くらい働きましたが、ここでの仕事が今の自分のキャリアの土台を作ったと思っています。

―ちなみに本格的に営業職としてお仕事をされてみて、最初はいかがだったんでしょうか?

一井:営業就任当時はお客様からけちょんけちょんに言われましたよ。必死で覚えた新商品の提案をするも「あなたに何がわかるの」とか言われて、結構落ち込んだりもしました。私はメーカー側ではあるのですが、お客様のほうが新人の私なんかよりもよっぽど詳しかったりするので、最新情報を伝えても「わかっているけど、それって何年前のこれと一緒じゃない」みたいなことを言われた時点で頭が真っ白になってしまうような状況でした。ただ、そんな状況を見た上司から指導をされたんです。

―具体的にどういったことを指導されたんでしょうか?

一井:「まず相手が何を求めているのかを徹底的にリサーチすることが大事」だと叩きこまれました。

例えばなにか物を売り込む場合、「こういうところが特徴で、こういうところが使いやすいですよ」という商品説明を読めばわかるような説明ではダメなんですね。相手は自分よりプロだから「こういうのって何年前からあるよね」とバッサリ斬られるんですよ。そうすると新人営業は二の句が継げなくなる。

そうではなくて、まずはその方たちの話をじっくり聞いて、求めているものを把握することから入ります。求めているものがわかったところで「この間、社長がほしいとおっしゃっていた商品はこれではないですか? 弊社がメインで押している商品です」という風に売り出していくと、相手は話を聞いてくれます。求めているものを把握して、売り込みたい商品があると提示する。類似品との差も含め最新情報はこちらが持っていると思わせることが大事。

こうして信頼関係を築ければあとはスムーズに事が運ぶ、そういう営業のノウハウを学びましたね。そこから営業としても成績をあげられるようになりました。
商品を売ることは、自分を売り込むことと一緒だということですね。これは何にでも通じることでもあるのです。

ですから、現在、私が運営しているからだデザイン研究所でも同じ方針でやっています。こちらが生徒さんに教えたいこと、伝えたいことではなく、相手が求めていることを伝えるというスタンスです。でないと相手が求めていないことを一方的に押し付けることになってしまいますからね。

―営業の仕事は完全に一井さんの礎を築いたんですね。

一井:そうですね。どうやったら通用するかと考えたとき、やっぱり相手が求めているものを提供するしかないんです。それは物かもしれないし、情報かもしれないし、当時は私の若さという原動力かもしれない。とにかく求められることを懸命にやっていくことで、認められて可愛がられていくようになりました。もうかれこれ25年近くたちますが、当時私を育ててくれた販売会社の社長ご夫妻とはいまだに「お父さん、お母さん」と呼ばせてもらいながら、年賀状のやり取りをさせてもらっています。

営業成績がトップじゃなくても「あの子は仕事ができる」と言われるようになります。営業として会社内での評価が上がると「どんな仕事がしたい?」と聞いてもらえるようになりました。私は人を育てることに興味が傾いていたので「採用教育をやりたいです」と答えたら、神戸支店長が本社の役員になり、「お前も東京に来い」と言ってくれ、東京本社の人事部に異動になりました。

―ついに神戸から離れるんですね。

一井:お付き合いしていた彼とも別れていましたから、今なら東京へ何の躊躇もなく行けると思いました。会社も私が彼と別れたことを知っていて「もう神戸から離れてもいいんだろう」みたいに言われてビックリしましたね。リサーチしてたみたいです(笑)。

でも東京本社勤務が決まったら母に泣かれてしまって。「行かないで葉子ちゃん」って。でも父は賛成してくれました。父は私が多忙を極めて夜中まで働いていたときなど「お前は何やっているんだ、とりあえず就職したと思ったらこのザマか!」と激怒していたのに、東京行くときは「行って来い」って。母は専業主婦だから東京本社勤務になることがどういうことかわからないようだったけど、父は「東京だったら、お前のやりたいことができるだろう」と背中を押してくれました。このときはじめて父と心が通い合った気がしました。仕事人として私がやろうとしていることを理解してくれたんだと思います。

神戸から離れて東京本社で人事に――。自分が手掛けた採用VTRが一躍話題に!

―人事部でのお仕事はどのように取り組んでいたのですか?

一井:システムの構築もやりましたし、採用教育担当だったので研修プログラムを作ったり、中途採用者のインタビューをしたり、いろいろ勉強できましたね。

私がいた化粧品会社の人事はちょっと変わっていて広報のような仕事もしていました。紙面に乗せていただく記事の校正や校閲のやり方も教わりました。入社用のVTRを作るのも人事の仕事なんです。あまりこういう仕事を人事でやることはないと思うのですが、私は大学時代にナレーターの仕事でメディアの裏側も見て来たので、どうやって作り上げていくのか、そのプロセスを知っているわけです。その経験が人事で活かされました。

経験してきたことはすべて繫がっていて、活かされるものなんだなぁと感じました。外部のメディア担当の方からも「一井さんとだとやりやすい」と言って頂けて、会社側も業務の内容が多岐にわたる部署だったこともあり、「人事のVTRはお前に任せた。責任はとるから好きにやってみろ」という感じで、任せていただけたので自由にやらせていただきました。この時も度量の深い上司に恵まれていました。私、上司運が強いんですね(笑)。

―人事のお仕事も順調だったのですね。

一井:それが、やっぱり「今までとは違うものを」と欲が出て、新しい人事VTRを作ろうと挑んだら社長に反対されてしまいました。でも各支店の方に見てもらったらとても褒めていただけたんですね。ほとんどの新卒採用者が営業の現場に配属になるので、かなり現場サイドの紹介をしたものにしたからだと思います。「こういう人事VTRが欲しかった」って言われて、それで採用になりました。でも危機一髪、このときはクビになりそうだったんですよ。

何も知らないところから、約6年間、営業、人事採用教育と様々な仕事をさせていただき、ひとつひとつがそのあとの仕事に繋がっていると学んだ時間でしたね。

フランス人女性の生き方に憧れを募らせる20代
若さは未熟、年齢を重ねた女性の美しさと自己表現の大切さ

―もともと希望しない就職から、営業、人事と結果を残してこられたわけですが、仕事はずっと続けようと思っていたんですか?結婚したらやめようとか、女性としての生き方としてどのように考えられていましたか?

一井:私はずっと仕事を続けたいと学生のときから思っていました。母は専業主婦でしたが、少し仕事を始めたとき綺麗になったんですよ。口では専業主婦で満足している風だったけど、やっぱり働きたかったんじゃないかと。私自身、専業主婦的な生き方は向いていないと思ったし、いずれ結婚して母になるかもしれないけど、若いときは想像すらできなかった。自分がどうしたいのかと、自分のことばかり考えていました。

ただただ、嫌いなことはやりたくないと思っていたけど、その思いは、化粧品会社の営業時代に、そんなことでは社会では通用しないと鼻っ柱を折られたことで目覚めました。今の自分では何の役にも立たない、何も能力がないと思った20代でしたね。

―フランスから日本に帰国するとガッカリしましたか?

一井:そうですね。日本は女性の社会進出という意味では旧態依然でしたから、自己主張せず「わかりました」とおとなしく従順な子が好かれる。そういうのを見て、そんな会社では絶対に働かないと思いました。キャリア指向は以前からあって、入社した化粧品会社は男女雇用機会平等法ができる前から男女平等で、給料形態も昇進形態も一緒という会社だったことも入社の決め手になりました。男尊女卑思想のある会社には行きたくなかったし、いつも40歳になったら私は何ができるのだろう、40歳のときでも第一線で働くことができる仕事は何だろうと、ずっと考えていました。

夫の転勤を機に退社。29歳で妊娠し、思いがけず専業ママに。
5年間の専業主婦経験は自分の人生をより豊かにするものだった

―人事を経験されたあと化粧品会社を退職され、キャリアの転換期を迎えますよね。

一井:退社したのは、夫の転勤についていくためでした。会社側は転勤先でのキャリア形成も考えてくれましたが、私は一度やめて休憩したかったんです。

転勤先は群馬県前橋市だったんですが、失業給付の申請に行くと「男性でもそんな高給な会社はここにはありません」と言われ、いかに自分が恵まれた環境で仕事をさせていただいていたのか痛感しました。ハードだし、無茶なオーダーはあるしで疲れ切っていましたが、働くとはそういうもので対価をいただけるんだと知りましたし、あの当時では、珍しい男女平等に働ける環境は、すごく恵まれていたことなのだと気づかされました。

そのあと、製薬会社の一般事務に契約社員として働くようになりました。電話対応や伝票の処理などゆっくりと仕事をさせてもらっていましたが、その電話対応が良かったそうでいろいろ任されるようになり忙しくなってしまい「ウソでしょう」という気持ちでしたね。時間があるので、ゆっくりと料理し、腕も上がりましたし、陶芸をならったり、とそれなりにとても充実していました。

―そのあと東京に戻られるんですよね。

一井:東京に戻って落ち着くとすぐ翻訳通訳関連の会社に入り、人事システムの構築と採用面接をやっていました。

二年ほどしたころヘッドハンティングのお話があり、転職しようかな、と思っていたときに妊娠しているのがわかったんです。

―妊娠してお仕事やめたんですよね、専業主婦にはならないとおっしゃっていたのに、意外ですね。

一井:会社は産後どうするかは私の意思に任せるというスタンスでしたので当然戻ってくると思っていたと思いますが、夫が「仕事をやめてほしい」と。私は「ずっと働いていいって言っていたのに」と意外な答えに驚きました。でも夫は私の激務を見て、これでは子供がかわいそうだと思ったようです。彼自身も両親が会社を経営していて忙しく、おばあちゃんに育てられて寂しい思いをしていたから、子供に同じ思いをさせたくなかったようです。「3歳までは子供の側にいてあげてほしい」と言われました。

そこで私は母に助けてもらおうと相談したら、母も夫と同じ意見。「食べるのにも困るほどなら、私も子育て手伝うけど、お金は足りているのでしょう。子供の人生を決める最初の3年間も我慢できないのなら母親失格よ」と言われたんです。これでは育児を助けてくれる人はいない。私はきっと仕事と育児の両立で大変なことになるだろうと思ったので、仕事はやめました。
結局そのあと5年間、専業主婦&ママしていましたね。

―これまでの一井さんの仕事ぶりを想像すると意外な選択ですね。

一井:自分でもその時100%納得していたか、というとわかりません。でも勤めていた会社の上司に「家族に反対され、3歳までは自分で育てることを決めました」と伝えたとき、こう言われたんです。

「長い人生の中で仕事のキャリアを繋いでいくことはいつでもできるけど、子供と自分のキャリアを繋いでいくのは、このときしかないから、今育児に専念するのは、すごく正解だと思う。育児に専念した期間が、一井さんの今後の仕事のキャリアに絶対活きる日が来るから」って。

この言葉が、すごく心に響いたし、今まさに間違っていなかったなと思えます。生徒さんの中には子育てと仕事の両立で悩んでいる方もいらっしゃって、当時の私と同じようなことで悩んでいる方に、今はアドバイスができています。

―育児と仕事の両立に悩まれている方は多いですものね。

一井:そうですね、やっぱりキャリアを急ぐ人って多いです。「育児だけしていると、すごく遅れを取っている気がする」と言う方がいますから。でも、そんなのどうってことありませんよと言いたい。私の年齢になったからこそ言えることかもしれないけど、子育ての中で学ぶことが、自分の人生のキャリアの中ですごくプラスになっていきます。

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復職するも、フリーランスで始めたフラワーアレンジメントの仕事で壁にぶつかり、
母、自身ともに体調を壊す

―育児の5年間で得た学びとは何でしょうか?

一井:自分のいろんなライフバランスを変えていかないと、女の人のキャリアは繋げないということですね。思いがけないことって起こりますよね。夫の転勤、出産も1度とは限らない、親の介護もあるかもしれない。人生って色んなことが起こる。そして女性は男性以上にその対応に追われ、生活が激変する場合が多い。となると企業に勤め続けることは限界があると考えました。

死ぬまで続けられる仕事を自分からスタートさせないとダメだと。しかも年齢を重ねていくたびに財産になっていく仕事を……と。私が仕事復帰したのは35歳くらいでしたが、それから37,38歳くらいまで結構苦しい期間でしたね。

―フラワーアレンジメントのお仕事をされていた頃ですか?

一井:はい。お花は好きだし、楽しい仕事でしたけど、果たして私が一生かけてやるべき仕事だろうかと。時代とともにいろいろ生活は変化していくじゃないですか。育児用品だって、子供が幼いとき、私はベビー服も何もかもお店へ買いに行っていましたが、いまは通販でポチって買えますよね。お店も地図もパソコンで調べられるし、そうやって変化していく時代に、必要とされる仕事は何か……とすごく悩みました。そのうちに母が癌で亡くなり、私も体調を崩してしまったんです。

母の死、自分の体調不良……そこから学んだ整体、食事療法が、
今の仕事に繋がるベースとなっていく

―大変な時期でしたね。

一井:悩みながらも、とにかく自分の体調を元に戻すために整体を始めました。もともと母のために代替療法や食事療法など勉強していましたが、整体も始めて、それを自分自身の健康のために実践していたら周囲の人から「教えて」と言われるようになってきました。

最初は友人だけに教えるつもりだったのが、みんなが知り合いを連れてきたりして、どんどん人が増えていって。うちのリビング狭いし、どうしようと思っていたら、見かねた友人が「場所を借りるからそこでレッスンして」と言ってきてくれました。もちろんボランティアです。でもレッスンを受けた人が「無料では申し訳ない」と1000円ずつ置いて行ってくれ、どんどん人数も増えていったので、自分でも今後どうするべきか迷っていました。

―その頃、フラワーアレンジメントの仕事はもう離れていたのですね。

一井:フラワーアレンジメントの講師をさせていただきながら、ホリスティック医学協会の生活習慣病予防指導士の資格を取得したところで、フラワーアレンジメントの先生に「美と健康に関するお仕事を立ち上げようとしているので講師のお手伝いを辞めさせていただきたい」とご相談しました。

すると先生が「うちのサロンを使って」と言ってくださったんです。ここでも、また師(上司)に助けられることになりました。

そこで講義をしていたら生徒さんに「やっぱり体を動かしたい」と言われ、バレエスタジオを借りてレッスンを始めました。でも子供も小さかったし、頻繁にレッスンができるわけではなかったんです。みなさんから「レッスン増やしてください」とリクエストをいただいて。かつての職場の方も「一井さんがおもしろそうなことやってる」と噂を聞きつけて、レンタルサロンを紹介してくださったり、講習会をやらせていただいたり。そうやって知り合いの紹介でどんどん発展していきました。

―求められてやっていたら、広がっていったのですね。

一井:私が家族の為に捨てたキャリアの人脈が、自分がフリーランスで動き始めたときに応援してくれたのはうれしかったです。だから人生のキャリアを築いていく上で、無駄なことってひとつもないんだなと思いました。でもこれは女性だから言えることかもしれない。男性だったらこういうことは起こらない気がします。私のサロンの生徒さんは98%紹介なんですよ。10年目に突入しましたけど、今のところ広告もなしでやってきて困ったことはありません。

―ボランティアから仕事への転換のきっかけはどこでしょう。

一井:夫からボランティアでやるのか仕事にするのかはっきりした方がいいと言われたことです。中途半端がいちばんいけないと。私は赤字を出さないようにすることをモットーにしていたんですが、それは商売にしないと続かないという結論に至り、恵比寿のレンタルスペースでサロンを本格的に始めました。

でも、今度は場所のスケジュールをなかなか抑えられない状態が続いて、レッスンが思うように組めなくなってきたんですね。生徒さんは求めているのにレッスンができないのは、商品を買いたい人はたくさんいるのに、お客様が来ても在庫がない状態と同じです。これは商売としてあるまじきことなので、思い切ってマンションの一室をスタジオとして借りることにしました。家賃払っていけるかなと不安はありましたが、なんとかなっています。

ヨガ

キャリアは後から自然とついてくるもの!
まずは自分が相手に提供できるものを徹底して提供する

―そうやっていまのスタイルに落ち着いてきたんですね。

一井:そうですね。美と健康のサロンでキャリアを繋ごうと気負ってやっていたわけではなく、求められて教えていたら、仕事として成立していった感じです。やはり求められていることを提供することが商売の鉄則通りだったということです。

なので、「売れないのはなぜだろう」と思ったら、それは運、不運の問題ではなく、原因は必ずあると考えた方がいいです。これは仕事だけじゃなく恋愛でも一緒じゃないかと思っています。「なかなかプロポーズされないんです」と言う悩みがあったら、それは自分の売り方がうまくいっていないのでは?と見直す必要があるかもしれません。でも、この論理が唯一通用しないのが子育てなんです。

―そうなんですか。なぜでしょう?

一井:子供は自分の計画通りに行動してくれません。突然泣くし、具合が悪くなるし、絶対に思い通りにはなりません。ある程度大きくなって自分の意見や意思がはっきりしてきた時もそうです。だから前職を離職するときに「子供を育てることに専念したら、絶対にあなたの人生のキャリア、仕事のキャリアになる」と言われたことは本当だなと思いました。

―それは心の広さが養われた感じですか?

一井:そうです。あと、やはり相手の要求を読むということが養われました。子育ては商売の鉄則に繋がると思います。子供が何を要求しているのかということを読み解いて、親として何を提供できるかと工夫しながらやっていくのが子育て。お客様の求めるものを提供するのに通じます。

でも商売の鉄則は子育てには通用しません。やっただけの報酬や、ご褒美がもらえるかというとそうではないからです。子育ては見返りを求めない、究極の菩薩仕事ですね。子育てが上手な方は、きっとお仕事も商売も上手でしょうね。

―キャリアを仕事にフォーカスせずに、一井さんはとても幅広く見ていらっしゃるんですね。

一井:仕事も人生の一部ですから。仕事のみにフォーカスしちゃうからややこしくなるんだと思います。もっと幅広く見て行くことが必要だと思いますよ。

よく「こういうキャリアを得たい」「こういう仕事やりたい」「こういう仕事はブラックだ」と言う方がいらっしゃいますが、自分の主張ばかりになってしまっているケースが多くみられます。そういう人たちには「あなたは仕事相手が求めていることを考えてる?」と言いたいです。キャリアっていうけど、キャリアはあとからついてくるもの。自分は何を相手に提供できるのか、まずはそこから始めないとダメなんだと思います。

営業として売り込むことと、人事として売り込まれること両方経験しているからこそ、
見えて来ること

―多くの方が一井さんに相談を持ちかける理由がわかった気がします。なかなかそういうアドバイスをしてくださる方はいませんから。

一井:私がこうして語れるのは、やはり化粧品会社時代に営業と人事の両方を経験しているからだと思います。自分は何を提供できるのか、相手の求めるものは何なのかを営業で学び、相手はこちらが求めていることを提供してくれる人なのかと、人を見る目を養う力を人事で学びましたから。

採用面接で「この人はうちが求める人材だろうか」とインタビューをしてきましたが、とにかく自分語りを熱心にする方がけっこういます。こちらとしては「そういうことは聞いてません」みたいな(笑)。これは年齢問わずですね。いろんな仕事の経験があるのに、こちらが求める人材ではないと思う人もいれば、若いけれど「このひとは仕事ができる!」と確信できる方もいますから。相手が何を求めているのかキャッチアップできる人は仕事ができる人材だと思います。

―なるほど。仕事がなかなか決まらない人は、あれこれ求めすぎるんですね。

一井:まずは自分に合ってる、合ってないとやる前から決めつけず、与えられた仕事をやってみることがキャリア形成では大事だと思います。私もかつては「営業なんて向いていません」と言っていましたが、あのとき会社を辞めていたら、今の私はいませんから。

かつての同僚は今の私を見ると驚きますよ。「あなたが人のために熱く語るなんて」って(笑)。だから20~30代で迷うのは当たり前。思うように行かないからって人生終わりじゃありません。逆に思うように行かないことから得るものは多いです。今の若い人は慎重過ぎる気がします。失敗を恐れないでほしい。会社やめても命を取られるわけではありませんからね。

<一井さんが運営している『からだデザイン』>
『からだデザイン』(http://www.karadadesign.jp/)(http://ameblo.jp/karadadesign/)は、予防医学に重点を置き、整体と食生活の改善を通して、自分で自分のからだの調子を整えるノウハウをお伝えしているサロン形式のスクールです。