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“まず相手が何を求めているのかを徹底的にリサーチすること“で築き上げたキャリア。 5年もの専業主婦期間を経てより豊かな人生を送る生き方

一井葉子さん 40代 代表
からだデザイン研究所


1968年生まれ。大学在学時からフリーでテレビ、ラジオ等のMCナレーターとして活躍。大学卒業後、1990年大手化粧品会社神戸支店に入社し、営業職を経験、その後1993年から東京本社人事部で採用教育に携わる。
製薬会社での契約社員勤務、翻訳通訳会社の人事システム構築、フラワーアレンジメントスクールの講師を経て、2008年からだデザイン研究所を立ち上げ、現在に至る。

MCナレーター、営業、人事、派遣、フラワーアレンジメント講師から、ホリスティック医学による美と健康のサロンの経営者に。多彩なキャリアでお仕事もバリバリな一井さんですが5年の間、専業主婦をしていた期間があったそうです。そんなご経歴をお持ちの一井さんに今に至るまでの経験をお話ししていただきました。

引っ込み思案な小学生が放送部でのDJ活動をきっかけに
言葉の表現する喜びに目覚め、性格が激変!

―実に多彩なキャリアをお持ちの一井さんですが、まずは大学時代にDJやナレーションのお仕事をされていたのですよね。最初はアナウンサー志望でいらしたのですか?

一井:そうです、アナウンサー志望でした。私は小学生の頃まで、とても引っ込み思案でいつも母の後ろに隠れているような女の子でした。

変わったのは小学5年生のとき、担任の先生が放送部の顧問で放送部に誘われて入部したことがきっかけでした。6年生と火曜日の昼食タイムの放送を担当したんですが、これまでの校内放送とはちょっと趣向を変えて、DJ風の放送にしたら、すごく人気が出たんですよ。当時は深夜ラジオがとっても流行っていたしね。
小学生のお昼休みはみんな校庭に遊びに出ちゃうじゃないですか。でも火曜日だけはみんな教室で私たちの放送を聞いてくれて。そのときに「人に対して自分の言葉で発信していくことはおもしろい」と思ったんです。

―DJがきっかけで自信がついたのでしょうか。

一井:そうですね。6年生になったときは、放送部を続けながら、学芸会の総合司会もできるくらいになりました。お友だちに「葉子ちゃんの声は綺麗だね。お話し上手だよね」って褒めてもらえるようになって、人前で話すことへの苦手意識が消えたら、性格もガラリと変わって、自分の考えを語れるようになり「自分はこういうことがやりたいんだ」と思うようになったのです。

得意のナレーターの仕事をフリーランスでやろうとするも、
父に猛反対にあいしぶしぶ就職

―アナウンサー志望という気持ちは、大学生のときのナレーターなどのお仕事にも繋がっていくのですね。

一井:私が大学2年生くらいのとき、ちょうどバブルがはじける直前で、すごく景気が良かったんですよ。大学生でもアルバイトですごくいいお給料もらえていたし、その中でもナレーターやMCのお仕事はとても良かったんです。私は「将来はアナウンサーになる」と言っていたので、テレビ局やラジオ局のお仕事を紹介していただきました。女子大生は今でいうJKのような存在で、メディアの注目の的だったのでお仕事もどんどん入ってきたんですよ。

―でも就職は大手化粧品会社ですよね。それはどのような経緯で?

一井:私自身は、このまま神戸でフリーアナウンサーとしてやっていけるから、就職しないでこのまま続けようと考えていました。ところが父の猛反対にあったんです。私の父は昭和一桁生まれの頑固を絵に描いたようなタイプ。フリーランスなんて、今は驚かれもしませんが、私の大学時代は親に理解してもらえなかったんです。「そんないいかげんな仕事、とんでもない!」って一喝されました。それで、仕方がなく一般企業に就職することにしたんです。

仕事のやる気はほぼゼロ
はっきり物を言う性格とトークの巧さ、要領の良さで乗り切った新入社員時代

―就職されたのは化粧品会社でしたよね?

一井:はい、大手化粧品会社に就職を決めました。バブル期なので企業は良い学生を獲得するために、学生たちへのアピールを一生懸命していた時代でした。私は就職するつもりがなかったから、かなりスタートで出遅れましたが、ササっと入社が決まりましたね。ただ渋々就職しているから「入社してあげましたけど、何か?」みたいな、かなり上から目線の新入社員で生意気でした(笑)。

―希望していなかった就職だったから「こうなりたい」というイメージはなかったと思うのですが、神戸支社の営業職からスタートされていますよね。当時、どんな風に仕事に取り組まれていたのですか?

一井:入社した会社は研修に力を入れていて、当時は新入社員研修のうち、最初の数週間は会社の研究所でマナーやメークを学んだりして、その後全員が全国の支店配属になり営業の経験をする営業研修を受けていました。その都度、人事教育担当者が様子を見に来るのですが、私はこのときこの仕事に対して情熱がないから「いつやめてもいい」くらいの気持ちで、意見も包み隠さず言うし、全て本音で話していました。それが「斬新な意見」と言われ、さらに大学時代にナレーターやっていたから人前で話すのも得意で常に堂々としている新入社員だと思われたみたいです。

―すごいですね! それで営業職へ?

一井:営業研修に配属される前に、希望の支店を第三希望まで出せるのですが、私は当時、神戸にお付き合いしている人がいたので、第一希望から第三希望まで「神戸、神戸、神戸」と書いて提出しました。そうしたら先輩に呼ばれてすごく怒られました。

「第一希望から第三希望まで書く意味わかっていますか?」と。「私は神戸以外で働く気持ちはないです」とお伝えしたら、「そういう態度は仕事をする上でよろしくない」と言われまして。でも私は神戸以外だったら、会社をやめようと思っていましたから、何を言われても全く平気でした。今思えば、嫌な新入社員だったなあと思います(笑)。

―でも神戸支店勤務になるんですよね。

一井:はい、まだ研修期間でしたが、言ったもん勝ちだと思いました(笑)。

新入社員の営業研修は、まず売ることの難しさを学ぶということで、研修では飛び込み営業をしました。5万円する化粧品のセットを2セット売るのがノルマ。最低2セットなので何セット売ってもよくたくさん売れば達成旅行というご褒美があったのですが、私は興味がなかった。きっちり2セットだけ販売して終わりました。本当にどうしようもない新人ですよね(笑)。

―当時、営業の仕事は向いていると思いましたか?

一井:全然思っていませんでしたね。研修期間を終えたとき、本社勤務になるとばかり思っていました。ところが神戸支店の支店長が「お前はここで営業を続けろ」と。私は「絶対に営業に向いていません」と言ったんですが「この会社で伸びて行こうと思ったら営業として一流にならないとダメだ」と言われたんです。「本当かなぁ」と半信半疑でしたが、会社が決定をしたことだし、従うことにしました。これが結果的に私のキャリア形成になくてはならないことになりました。

ピンク

営業に苦戦する中、上司からの 一言が自分の人生の礎となる

―具体的にどのようなことですか?