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ユーザーからプレイヤー、マネージャーから経営まで、幅広い経験が自分の強みに。「もっと女性が長く働ける業界にしたい!」という目標を掲げ、邁進する女性役員

佐伯 真唯子さん 30代 統括本部長
株式会社ヴィエリス


大学卒業後、2003年に大学に企画事務スタッフとして入社。その後、美容の専門学校に入学し、2005年からエステティシャンの仕事を始める。2008年に銀座のエステサロンに転職。2010年に脱毛サロン会社にマネージャーとして入社し、5店舗から約80店舗まで拡大するフェーズに携わる。2013年、現在の職場である株式会社ヴィエリスに創業メンバ―として入社。スタッフ育成やサービス企画、売り上げ管理、人材採用など幅広い業務に携わっている。

脱毛サロン『キレイモ』を運営する株式会社ヴィエリスで、現在統括本部長として活躍中の佐伯さん。なんと、もともとは大学で海洋生物の研究をしていたバリバリの理系女子だったそうです。そんな彼女がエステ業界に魅了され、その道一筋で歩んできたこれまでのキャリアと今後のプランについてお話しを伺いました。

エステサロンとの出会いが自分の人生を180度に変える
美容の道を目指し、極貧生活をしながら夢を追い続けた学生時代

―新卒時には全く違う業界にいたそうですが、大学を卒業した後のキャリアを教えてください。

佐伯:大学は海洋開発工学科で、海洋生物や海洋建造物などについて学んでいました。当然、卒業後もそういう分野の仕事に就きたいと思っていたのですが、私の就職活動の頃はちょうど就職氷河期でなかなか就職できなくて困っていました。そこに就職課の先生が声をかけてくれて、そのまま大学で企画事務スタッフとして就職することになったんです。

―ファーストキャリアは事務のお仕事だったんですね。そこからエステ業界に飛び込まれたのはどのような経緯だったのでしょうか。

佐伯:家の近くにエステサロンがあって、そこに通い始めたことがきっかけでした。それが私の人生を大きく変えたターニングポイントになりました。エステサロンに行ったとき、ものすごい衝撃を受けました。そこは美の極みというか、美しいものに囲まれながら、お客様をキレイにする場所で、活き活きと輝いて働いているエステティシャンの方々の姿に一瞬で心を奪われました。

また、エステティシャンが妊娠していても、子どもがいても働き続けている状況を見て、自分もこの仕事がしたいと強く思いました。私の母は私が幼いころから60歳を過ぎた今も現役で働いていて、物心つく前から「男性に負けないような自立した女性になりなさい」と言われて育てられたので、結婚や出産で仕事を辞めるという概念が昔からなかったんです。だから、仕事をするなら女性が活躍できる職場がいいと思っていました。

そこで、大学の仕事を退職し、親に頭を下げて美容の専門学校に行かせてもらうことにしました。専門学校の学費は親に負担してもらったんですが、仕送りはなしという約束だったので極貧生活でしたね(笑)。当時は家賃が4万2千円ぐらいの1Kのアパートに住んでいて、生活費を全て自分で捻出しなくてはいけなかったので、アルバイトを掛け持ちしながら専門学校に通っていました。夜は居酒屋、土日は専門学校が提携している神奈川のエステサロンでアルバイトをしながら下積み生活を送り、卒業後はそのままアルバイト先のエステサロンに入社しました。

憧れの先輩の姿を追って走り続けた下積み時代
自分の日々の成長が楽しいということがモチベーション

―学生の頃からすでにエステサロンでアルバイトしていたんですね!アルバイトのお仕事はいかがでしたか。

佐伯:アルバイトの時にも、あまり「バイトだから」という気持ちはなくて、日々の仕事が自分の成長に繋がっているのが楽しかったんですよね。ただ、お客様に施術をさせてもらえるようになるまでにはかなりの下積み期間が必要で、最初はひたすら片づけやセッティング、掃除、カルテ整理、受付、電話対応が仕事でしたね。

だから、やっとお客様の施術をさせてもらえたに時はとても嬉しかったし、とにかく仕事が楽しくて仕方ないという日々でした。

―日々のご自身の成長がモチベーションだったんですね!

佐伯:そうですね。それと、サロンにモデルのようにキレイな先輩がいたんですよ。キレイなだけでなく、お客様からも好かれているその先輩のようなエステティシャンになりたいという憧れもモチベーションの1つになっていましたね。

2人でPC見ているところ

エステティシャンとして飛躍するためいざ銀座へ。ハイグレードな顧客、縦社会、初の男性顧客対応で戸惑うも、ライバルの同期と切磋琢磨してキャリアを積む

―近くにロールモデルとなる方がいたんですね。楽しく働いていた1社目を退職し、その後、銀座のエステサロンに職場を変えたのはなぜですか。また、そこではどのような仕事をしていたのでしょうか。

佐伯:その頃はまだ若くて生意気だったので、一流のエステティシャンになりたいと思って、勢いで銀座のスパで働くことにしたんです。

1社目は痩身やフェイシャル改善といったメンテナンス系のサービスを提供しているサロンだったんですが、銀座のスパはリラクゼーションがメインだったんですよね。だから、1社目とはお客様に求められることが違い、タレントさんや議員さんなどのハイソサイティなお客様も多く、同じ業界であってもかなりの違いがありましたね。

―同じ業界でも大きな違いがあるんですね!上手くスイッチを切り替えられましたか。

佐伯:自分としてはかなり時間がかかったと思いますね。2社目ではこれまで以上に身だしなみに注意する必要があり、ハイソサイティなお客様に対しての言葉遣いや対応も難しく、その上サロン自体が縦社会でした。そのため、1社目でフレンドリーな接客をしていた私には、慣れるまでが大変でした。

それでも、私よりも少し先に入社した、ほぼ同期の子がいたんですが、その子から色々と教わってなんとか軌道に乗ることができました。その子とはとても気が合って、一緒に住んだこともあるほどで、お互いにダメなところを指摘しあえるよきライバルだったので、彼女の存在が自分の励みにもなっていたし、まさに2人で切磋琢磨しながら仕事をしていましたね。

初のマネジメント。自分の言葉がなぜ伝わらないのかを最初は理解できない状況に戸惑いつつも、自分のプレイヤー時代を振り返ることによって形成されたマネジメント方法

―お互いに刺激しあえる仲間が職場にいるのは大きいですね。銀座のスパにいた3年間で仕事内容の変化はありましたか?

佐伯:エステティシャンとしての基本的な仕事に変わりはないのですが、男性のお客様の対応をすることになったり、マネジメントをすることになったりといった変化はありましたね。

特にマネジメントに関しては、自分が言ったことが相手に全く伝わらないということが何度もあって最初は戸惑いましたね。どうしてだろうと自問自答しているうちに、ある時、自分の目線でしか指導できていないことに気が付いたんです。

自分が新人社員だった頃を思い返すと、今私がしているような指導をされても理解できないのは当然だったんですよね。それで、相手によって視点を変えるということが必要だと気づいてからは、コミュニケーションのとり方を相手によって変えるように努力しました。例えば「Aさんには今の話は通じるけど、Bさんにはそれでは通じないので、もう少し前段階の話からしよう」といった感じに、相手に合わせるんです。さらに、この子に対してはしっかり業務詳細まで伝えた方が良い、この子には全体の大まかな流れ伝えた方が良いなど、相手を知るために徹底的に観察しました。そんな努力のかいもあって、マネジメントについてはやっと自信が持てるようになったと思っています。

―よきライバルもいて、マネジメントの経験もされて、佐伯さんにとっても貴重な経験ができた時期だったんですね。その後、3社目は脱毛サロンを運営している会社に入社されたそうですが、それはどのような経緯からでしたか。