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「誰もが心から豊かさを享受できる社会を目指したい。」という想いを掲げ、自らが新しい社会のロールモデルとなり活躍するキャリアのつくりかた

石山安珠さん 20代 広報・渉外
株式会社クラウドワークス


1989年生まれ。2012年ICU卒業後、株式会社リクルート入社。同年秋、リクルートキャリアに転籍。3年半在籍し、主に人材領域で大手企業の採用メディアプロモーションやブランディング全体の設計などに幅広く携わる。2015年にクラウドワークスに入社後、企画広報・渉外業務、『クラウドワーキングマガジン』の編集長を務めるほか、一般社団法人シェアリングエコノミー協会事務局の担当、世界各国のシェアサービスを体験し「シェアガール」という肩書で複数のメディア連載を持つなどシェアリングエコノミーの啓蒙活動を行う。そのほか、任意団体「働く20代のサードプレイスURAWORKS」の運営代表や、渋谷区恵比寿の新しい街づくり「EBISUTOWNMEETING」の企画・モデレーターを務める。都内シェアハウス在住、実家もシェアハウスを経営。

現在、株式会社クラウドワークスで活躍中の石山さんは、人と違うやり方にこだわり、仕事でも常にオリジナリティーを大切にしています。個人としても様々な活動をしているという石山さんのこれまでのキャリアについてお伺いしました。

必死に自分のアイデンティティーを探し続けた10代。自分にしかできない“世の中を変える”ための強みを形成しようと修行するつもりでリクルートへ―

―石山さんはリクルートでキャリアをスタートされていますよね。就職前にキャリアに影響を与えるような出来事があれば教えてください。

石山:少し遡りますが、小学生のときに両親が離婚したんです。ひとりっ子で親が離婚するという家庭は周りに少なく、10代の頃は必死に自分のアイデンティティーを探していました。その後の25歳でシェアハウスに住むまで、約15年は、どこにも長期間定住することなく母や父、友人の家などを転々としたり、海外を放浪したりしていました。当時は、“人はなぜ生まれ、なぜ生きるのか、そしてなぜ死ぬのか”というような、当たり前のようなことではありますが人間の存在意義について考え続けていた10代でしたね。

幼い頃から、戦争映画が好きで、特にナチス・ドイツ、ホロコーストに関するジャンルが好きだったのですが、16歳のときに自分の誕生日がアドルフ・ヒトラーの誕生日のちょうど100年後の同じ日だということが分かり、もしかしたら自分はいい意味で社会を変えるために生まれてきたのかもしれないと思うようになりました(笑)。周りからは「変わっているね」と言われますが当時はアイデンティティーを探すことに必死だったのだと思います。

そんなことがきっかけで16歳からは「自分は世界を変えるために何ができるのか」を常に考えて過ごしてきましたね。17歳のときには、お金を借りて1人でポーランドのアウシュビッツ収容所やドイツにバックパックに行ったり、大学時代は海外ボランティアや、平和研究が進んでいる大学と言わているICUで研究をしたり、NHKの国際討論番組で2年間アルバイトをしていました。

話しているところ

新卒1年目から営業マニュアルは一切見ない独自の営業手法で結果を出す
「自分にしかできない仕事」ということをモチベーションに駆け抜けた営業時代

―10代のころはご自分のアイデンティティーを模索されていたんですね。その後、リクルートに入社することになったきっかけを教えてください。

石山:元々NHKでアルバイトをしていて、ジャーナリストになることを考えていた私は、早期から大々的な就職活動はしていなかったんです。

そろそろ本格的に就職活動を始めようと思っていたときに、3.11の東日本大震災が起きました。このことがきっかけで、私は大きな方向展開することになりました。地震の数日後に、もう日本には戻ってこないつもりでヨーロッパへ飛びました。

その後数カ月の間、ベルギーで過ごしながら、今後どう人生を歩むべきか考える毎日でした。学生の中でも大きな夢を抱きがちなキャラでしたが、実際に夢があってもこういう大震災など、いきなり今日当たり前だったものが、明日なくなってしまうようなことが今後いくらでも起きてしまう時代の中で、自分がやりたいことや、自分にしかできないことを実現する為には、「“自分にしかない、オリジナリティーや強み”を、まずは作らなきゃいけない」と思うようになったんです。

ヨーロッパで過ごしていましたが、大学が再開し、日本に帰国した頃、就職活動は終わりかけの時期でしたが、そんなときリクルートで面接する機会を得ることになりました。どんな状況でも自分のオリジナリティでゼロから生み出せる人間になる為の最初のステップとして、リクルートで修行するような気持ちでリクルートに入社を決めました。

―「強さ」を身に付けるためにリクルートに入社されたのでしょうか。

石山:そうですね。リクルートに入社してからも、「人と違うやり方」に強くこだわり続けていました。私の両親は母がデザイナー、父が作家兼歌手で、「個性とオリジナリティ」で生きる両親のもとに生まれました。余談ですが、リクルートに内定したときには父に「サラリーマンになるなんて、凡人になるのか!(笑)」と言われましたことを覚えています(笑)。 それで、入社したらまずはオリジナリティーを極めようと決意し、社会人生活をスタートした記憶があります。

―ご入社されてからはいかがでしたか。

石山:入社当初は、本当に優秀な人ばかりで、彼らに頭で勝つのは難しいと思いまして(笑)、自分なりのやり方で成果を出すということに入社早々シフトチェンジしていきました。

1年目の最初のテレアポキャンペーンでは、マニュアルを一切見ないで、社長の名前を調べて手紙を書いたり、お客様からいただいた声をまとめて社長に報告したりと、人とは違うやり方で自分のスタイルを極めようとしていましたね。企業分析が好きだったのですが、どの企業も誰かに幸せする価値を届けるためのサービスがあり、その上に理念やビジョンがあります。当たり前のことではあるのですが、そこにどれだけ当事者意識を持てるか、共感できるか、その企業の社員の気持ちにも、経営者の気持ちにも、そしてサービスを享受するお客さんの気持ちにもなれるかを大切にして、いつも仕事をしていました。

その甲斐あってか、半年後には、他の同期より先に大企業を任せてもらえることになったんです。そこからは大手広告代理店とのコンペなど、かなり色々な仕事をさせてもらいました。ここでも自分のやり方、つまりオリジナリティーを大切にしていましたね。

―営業職と聞くと、結構目標数字に追われてしまうイメージもあるんですが、そこはいかがでしたか。