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「好きなことを通して人の役に立つ自分になりたい」悩みに悩んだ20代。30歳手前で気付いた“本当になりたい自分像”

坂下 彩花さん 20代 広報営業
株式会社 ローカルワークス

1987年生まれ。大学卒業後、2010年にITベンチャー企業に営業職で入社し、配属わずか4ヵ月で役職に就き、約5年間課員育成、マネージメントにも携わる。香港での出張体験を機に海外への気持ちが募り、退職後はフィリピン留学、その後ニューヨークに滞在。帰国後、株式会社ローカルワークス(以下:ローカルワークス)に入社。現在は広報、人事、営業など幅広い業務に携わっている。

入社4カ月で役職に就かれ、プレイングマネージャーを勤めるほど活躍をしていた坂下さん。
実はそれまで「何をやらせても最下位になってしまう」という経験が多かったのだそう。伸び悩みの苦しみを理解できることも強みとし、仕事を通して自分自身の存在意義を見出しキャリアを積んできたそうです。今回は何事も全力で取り組む彼女に、仕事に対する考え方、今まで経験されてきた出来事を聞かせていただきました。

人の何倍も苦労することができる、そんな大変な職場で仕事がしたいという想いからITベンチャー企業へ

―坂下さんの考え方、バックグラウンドについて教えてください。

坂下:私は昔から人の何倍も努力をしているにも関わらず人一倍結果が出ない、そんな残念なタイプの子でした。今考えると努力の方法に問題があったのですが、当時の自分は、「人並み以上の努力をしても結果が出ないのは、能力がないからだ。」と日々劣等感と共に自分自身を奮い立たせていました。また、自分が恵まれすぎている国日本にいることに対しても、漠然とした不安な気持ちを抱いていました。

そんな高校生時代に読んだ『9・11 (ナイン・イレヴン) ジェネレーション』という本によって、今まで持っていた危機感が、恐怖として目の前に立ちはだかることになりました。その本は小学6年生の少女によるアメリカ留学体験記で、日本とアメリカ学生の価値観、文化の違いを具体的エピソードと共に綴った本でした。
主人公の学びを通して、私が感じていた危機感は日本の足並みを揃えて出る杭を打つ文化、教育に対するものなのだと気が付きました。

ただでさえ遅れをとっている自分が、恵まれた国日本で生まれ育っている。しかもゆとり第一世代として・・・。
その気付きが、「社会に出た時には人一倍苦労する環境に身を置き、自分の市場価値を高めよう」と私に決意させました。

―なるほど。自分の市場価値を上げる職場として最初に選んだのが、WEB制作会社だったのですね。

坂下:そうですね。まず、大手よりもベンチャー企業のほうが裁量権があり、自分が成長できるイメージを明確に持つことができました。そして、職種の中では営業が一番大変、且つやりがいがありそうだと考え、営業職につくことを決めました。また、当時はIT業界の成長が著しい時代でもあったので、ITベンチャー企業に営業職で入社することにしました。

話しているところ

何をしても最下位だった私が、いきなり成果に恵まれた

―実際に営業職で入社してみて、いかがでしたか。

坂下:生まれて初めて努力がすぐに成果につながるという経験をしました。それが楽しくて仕方なかったですね。その時の具体的な仕事内容は新規営業で、医科、歯科など、主に個人事業主として店舗を構えている方々にWEBコンサルティングを提案する仕事をしていました。テレアポはもちろんのこと、飛び込み営業もする、いわゆるバリバリの営業でした。その上、一任担当制を取っていた会社でしたので、契約した案件はデザイン・コーディング以外全て自分で担当。ディレクションはもちろん、コンテンツ作成のためのインタビュー、記事作成、写真撮影、検索対策、解析やレポートなど幅広く経験させていただきました。契約を取るだけでなく、その後の対応もすべて自分でやるというのは時間管理がとても大変でしたがやりがいがありました。

―それはものすごい仕事量ですね!新卒1年目の仕事は特に社会の厳しさを感じることも多いと思いますが、そこはいかがでしたか。

坂下:もちろん仕事量が多かったので楽ではなかったですが、高校時代の恩師の教えが私を支えてくれていました。学生時代の私はスポーツ、勉強、本当にありとあらゆることで最下位でした。それを見かねた恩師が、「まず学ぶ方法を考えなさい。そして、上手くいかなかった状況を分析して、それをどうしたら改善できるかを考えなさい」と教えてくれたのです。それが私にとっての大きなターニングポイントになりました。

最初は恩師に指導されたことを意識するようにしていたのですが、だんだんとそれが身について、自然と思考が変わりました。そのおかげで、同期がかなり数字に苦戦している中で、私は配属後すぐに成果を出せました。当時「営業の神様」と呼ばれるような方が上司についたことも非常に運が良かったです。尊敬できる上司と仕事ができ、成果が出る。それは本当に嬉しいことでしたね。

“男性営業VS女性営業”の体力競争という無謀な戦いで気が付いた自分の弱さ

―恩師の指導をうまく生かせて、自分に自信を持つことができたんですね!
その後も順調でしたか。

坂下:はい。その後も営業売上げを達成し、順調でした。ただ、当時は営業のほとんどが男性で、女性は1割程しかいなかったことから、自然と自分の中に「女性であることを言い訳にしたくない、男性に負けたくない。」という競争心が芽生えていたと思います。私はいつの間にか真正面から体力勝負をしていたのです。

あの男性営業マンが1時まで仕事をするなら、私は3時まで働く!といった無謀且つ無意味な戦いです・・・。そんなことを続けていたら当然のことですが、体調を崩してしまいますよね。その時初めて「このやり方では続かない」と気が付きました。体感して初めて気が付くというのは今思うと自分らしくて笑ってしまいますが、この体験を入社当時、若い時にしたのはいい機会だったと思っています。

その後は体力勝負をやめて、どうしたら結果を出し続けられるか模索し始めました。社内の方にも相談をさせていただく一方、社外の方にも相談をし、毎月1名以上尊敬できる方に会いに行きました。また、ビジネス書籍を何百冊と読み込むこともしていました。今は「懸命」はもちろんですが、より「賢明」に働きたいと常に思っています。

PC

「あなたのようにはなれません」とメンバーから断言され、マネージメントの難しさを痛感

―とても大きな気づきがあったのですね!
坂下さんのマネージメントについての経験を教えてください。