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Real Woman Interview

医学の道を目指していた学生時代から一転、生計を立てるためにエンジニアの道へ。28歳からの遅咲きの社会人人生をスタートし、「自分の市場価値の向上」を意識して築き上げてきた女性エンジニア

下元 礼子さん 40代 エンジニア
日本ビジネスシステムズ株式会社


北京大学医学部で医学を志すも、家庭の事情により帰国。自宅近くのパソコンサポートセンターでアルバイトを始めたことをきっかけにITに興味を持ち、テレビ局のシステム運用プロジェクトに常駐。そのとき関わった仮想化技術を極めたいと考え、2008年ITディストリビュータ―に入社。技術者向けのトレーニングを行う認定講師や製品導入におけるプリセールスとして約6年勤務。2014年、クラウド系トレーナーとなるため、マイクロソフトの主要なパートナー企業である日本ビジネスシステムズ株式会社(JBS)に入社。マイクロソフト製品のイベントスピーカーや社内外への技術トレーニングを行っている。

「日本で仕事をしているのが不思議」と言う下元さん。学生時代は中国で医学を学んでいらっしゃいましたが、現在は日本でIT製品のトレーナーとしてお仕事をされている異色の経歴の持ち主です。そこには、医学の道を諦めてIT業界へと大幅な方向転換をされた決断や苦労がありました。現在IT業界で生き生きと仕事をされている下元さんに、当時の想いやそこからの気持ちの切り替え、仕事に向かう姿勢、今後のキャリアプランなどを伺いました。

家族の死に直面し、「生」に向き合う医者の道を目指した学生時代
夢半ばで帰国となり、日本でのアルバイト生活から社会人経験が始まった

-学生時代はどのようなお仕事をしようと思っていましたか。

下元:父親の体が弱くて、喘息や糖尿病などを患っていたのですが、私が中学生のときに亡くなりました。朝、学校へ行く私を見送ってくれた父が帰ってきたときには亡くなっていました。10代の私にものすごく大きな衝撃でした。
それを機に「人の命を助ける仕事がしたい」と思い、北京大学の医学部に進学しました。

中国の北京を選んだのは、体験の科学ともいえるような方法で病気を治す「東洋医学」に興味を持っていたことが背景にあります。食べ物、生薬なども含めて過去の経験に基づいて長期的に根本的体質改善していくという治療法に感銘を受けて、せっかくなら漢方の本場中国で学びたいと思いました。中国では西洋の医療技術を使う病院でも積極的に漢方を処方します。できるだけ自然に近い状態で治療をする、そういった自然な医学を現地で学びたいと思っていました。また、日本に比べて学費も格段に安かったので、家計にもあまり負担がかからない形で進学することができるというのも北京を選んだ理由のひとつですね。

-学生時代は医学を学ばれていたのですね!そこから今のITというのはまったく想像がつかないのですが、大学卒業後はどのようなことをされていたのですか?

下元:医学部約6年の学士課程を修了して卒業し、漢方の大学院課程の終わり頃のことなのですが、日本でもニュースになったSARSの流行で大学閉鎖になり、半年近く大学に通えなくなってしまったんです。北京にいる滞在費を省くため、一時帰国しようとしたタイミングで今度は母が体調を崩してしまいました。母一人、子一人だったので、状況的にも経済的にも日本で仕事を探さなければならないと判断し、医学の道を諦めて帰国して働くことにしました。

とにかく何でもいいからすぐに働き始められるところを探そうと思いました。求人広告を探してみると、もともと興味のあったパソコンの仕事が見つかりました。自宅近くにあったパソコンメーカーのパソコンサポートセンターでアルバイトとして働き始めます。

その後もどうせやるならもう少しいろいろやってみたいと、保険会社のADドメイン移行プロジェクトのお手伝いを1年間に渡ってやりました。プロジェクトでは、エンジニアさん達が全国300カ所ある保険会社の営業社員のパソコンをドメイン移行させます。私はそのステータス管理をする役割で、主に事務の仕事でした。

当時はシステム関連の業界では女性もそんなにいなかったのかもしれませんが、特にそのプロジェクトは男性ばかりで、手伝ってくれる女性を入れようという軽い感じで採用されたようです。「スキルはいいから、とにかくちゃんとコミュニケーションができそうな人」と言うことで雇われたようです。

常駐初日に、Office Accessの本を渡されて「これで勉強して、何かできることをやってください」と言われたあとは、もう一人で作業を進めなければいけない状態でした。最初は「どんな仕事があるのか?私に何かできることはあるのか?」と言う分析から始めました。週払いの仕事だったので、とにかく何か自分でできる仕事を見つけて短期間で成果を出さないと生き残れない、と思いました。

最終的には、各ドメインユーザーやクライアントPCのステータス管理、プロジェクトのヘルプデスクセンターの管理、など多岐にわたる仕事を任せて貰えました。未経験のことも多かったので、本を読んで勉強することもありましたが、それを元に自分で簡単なツールなどを作っているうちに少しずつスキルも身についてきました。

プロジェクトの終了時には、エンジニアの方が私のやる気を評価してくださって、サーバ機器を扱う作業をやらせていただける大変貴重な機会をいただけました。その業務は一段上のエンジニアの人がやる仕事だと思っていたので、ほぼ未経験の自分が対応させていただけることがとても嬉しかったです。この経験も含めて、サポートセンターでの業務やドメイン移行プロジェクトを担当する中で、この業界で自分の価値を上げるために技術職に就きたいと思いました。

この時に仕事で一緒だった方が、次の職場でも自分がやっているプロジェクトに入らないかと声をかけてくれて、それが次の仕事につながりました。大手テレビ局のシステム運用チームの請負会社での常駐です。ちょうど給与面も改善したかったので、正社員になる良いタイミングだと思いました。実質、それが最初の「ITエンジニア」としての仕事でした。

話しているところ

大規模なプロジェクトをきっかけに、本格的にエンジニアとしての道を歩み始める

-最初はアルバイトからのスタートだったのですね。テレビ局の運用の仕事から本格的にエンジニア業務を開始されたのですか。

下元:そうですね。テレビ局のシステム運用では当時話題になっていた「仮想化」という仕組みを導入するタイミングで、大規模なサーバ仮想化のプロジェクトの仕事をしました。何十台もあるサーバを仮想環境に移行する作業を行いました。日中は社員の方がシステムを利用しているため、必然的に夜の業務が多くなり徹夜で移行作業をすることもしばしばありました。大変でしたが、このプロジェクトでシステムの仕組みやサーバのことを教えてもらい、ITの仕事やシステムエンジニア(以後、SE)の仕事をもっとつきつめたいと思うようになりました。ここでの経験をもとに「仮想化」が今後主流になるだろうと感じ、プロジェクト終了のタイミングでこの技術にもっと多く触れられる環境を求めて次のステップに移る決断をしました。

-それでITディストリビュータ―に入社されたのですね。そこから今に至るまではどのような流れだったのですか?