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長期的なキャリアを見据えて30歳までにキャリアを確立したい―銀行員から、広報のプロになるまでの道のり

志賀 祥子さん 20代 PRコンサルタント兼編集者
株式会社PR Table

2007年に日系銀行へ新卒入社。その翌年、大手住宅総合会社に社長秘書として入社し、広報を兼任。2011年、ITベンチャー企業に営業として入社。2013年からは飲食ベンチャー企業に社長秘書兼広報として入社し、同年に結婚。スタートアップ企業や上場ベンチャー企業にて広報部門の立ち上げに携わり、2016年より個人でPRコンサルタントとして活動。同年8月からPR Tableに正社員として参画し、フリーランスと二足の草鞋で活動している。

多くのベンチャー企業で広報立ち上げなどに携わり、様々な企業の成長に大きく貢献してきた志賀さん。そんな彼女のファーストキャリアはなんと日系銀行の事務。志賀さんのこれまでの経歴と今後の展望について伺いました。

英語を使って仕事がしたいと思い、日系銀行の外国為替業務を担当する。

―現在広報として活躍されている志賀さんですが、新卒のころから広報職で、ご活躍されていたのでしょうか。

志賀:新卒のころは全く違う仕事をしていました。
私はもともと英語が好きで語学の専門学校に通っていたんです。卒業後は海外に留学したかったのですが、経済的な理由から断念。慌てて就職活動し始めたころには、すでに新卒採用がほぼ終わっていました。当然、大手企業の募集はほとんど締め切られていたのですが、ある日系銀行が追加募集をしていたんです。それも外国為替に関わる仕事の募集。「日常的に英語が使える仕事」に魅力を感じてすぐに応募し入社することになりました。

―銀行ですか!入社後はどのような仕事に就かれたんですか?

志賀:入社後は、外国為替業務をしていました。マナー研修や為替知識など、大手ならではの手厚い研修も受け、インプットした知識を現場で活かしながら、「外貨がどのように動いているのか」など金融の現場でしかできない経験をしているうちに、今まで全く知識のなかった金融が身近に感じられるようにまで成長しました。社会人1社目に、この会社に入社できたことが、今でも本当によかったと思っています。

意外と仕事が好きだと気が付いた社会人1年目。社外に出ても通用するスキルを身につけたい。早いうちからキャリアチェンジを考え、大手上場企業の社長秘書になる。

―順風満帆な新人時代を過ごされていたようですが、次のキャリアに移られたのはどうしてなんでしょうか。

志賀:2年目になり、新卒の育成担当に選んでいただいたんです。2年目で選ばれることは過去にもないそうで嬉しかったことを覚えています。ただ、ちょうどその時期から今後のキャリアについて考えるようになりました。

学生の頃は、自分がどんな仕事に向いているのかわかりませんでした。営業なのか事務なのか、そもそも仕事自体が好きなのかどうかも。何年か働いたら結婚して専業主婦になるかな、なんてことも考えてたくらいで、「こうなりたい!」という目標がないまま社会に出てしまったんです。実際に社会に出て仕事をしてみたら、意外と仕事が好きな自分がいることに気付きました。そして、ビジネスを通して自分の得意不得意も知ることができたのです。

また、金融機関には閉鎖的なところがあり、主に専用のシステムを使って仕事をするので、一般的に使われているWordやExcelなどを使う機会がなかったんです。今後のキャリアを考えた時に、ここでの常識でしか成長できないのではと危機感を持ちました。もっと社会を知って、いろんな経験を積むために、わりと早いうちから次の会社を探し始めていましたね。

―次のキャリアはどういったお仕事ですか?また実際その仕事に就かれてみていかがでしたか?

志賀:実は、学生時代にイベント会社でアルバイトをしていたことがあるんです。そこでは、いわゆる外資系の高級ブランドや化粧品の新作発表会やファッションショーなどを手がけていました。自社のブランドや商品を表に出していく”広報”という仕事を知り、興味を持ったんです。ただ新卒や第二新卒で広報を受け入れているところは、当時はありませんでした。そこで、まずは事業会社でスキルを身に付けるため、大手上場会社の社長秘書になりました。社長直下という立場もあって、社会についてビジネスについて色々なスキルを身につけるチャンスがあるかもしれないと思って入社したんです。それが22歳になる直前くらいでした。

入社してからは、仕事を進めながら、仕事の感覚を掴んでいった感じです。そしていつの間にか祈願していた”広報”の仕事を運よく兼任することになりました。

アメリカを本拠地として、日本全国に事業展開をしている会社だったので、日本全国から海外まで出張で飛び回る日々でした。周りの友人はまだ大学4年生のときで、仕事の相談などはよく母にしていましたね。早いうちから濃厚な経験をさせていただいたのは今でも感謝しています。文化の違う海外の方との接し方やビジネスマナーまで学べましたし、銀行員だった頃とは比べ物にならないくらい社外の人と関わり、仕事の楽しさを感じていました。

最終的に、社長秘書と広報の他にも、さらに並行して営業事務や新規事業の立ち上げと4部門を兼任していたんです。秘書の目線と広報の目線、そして営業から事務の目線まで、会社という組織の構造を全体的に見ることができたことは、非常によい経験になりました。

話しているところ

あと5年で30歳――そう考えたときに見えた理想の30歳の自分像

―2社目では、いろんなお仕事を経験されたんですね! その後、次のキャリアに移られたのはどうしてなんでしょうか?