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幼稚園の先生からトップ営業へとキャリアチェンジした営業ウーマン。「保育業界の何かしらの力になりたい」という想いが自身を奮い立たせるパワーになっている。

大濱 真由子さん 30代 営業 チーム長
株式会社ウェルクス
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広島県の保育科短期大学卒業後、幼稚園教諭として5年間従事。その後、東京に上京し、保育園に転職。1年間勤めた後、ブライダル業界でウエディングプランナーとなる。1年半従事し、その後、保育業界に特化した人材企業である株式会社ウェルクスに営業職として入社。入社して半年でチーム長となり、マネジメントもおこなっている。
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幼稚園の先生だった大濱さん。自分のやりたいことを探すために上京し、初めての業務に悪戦苦闘するも、その壁を着実に越えていかれます。現在は、保育業界に特化した企業で部下を抱えるチーム長となり、キャリアを積まれています。
そんな彼女に、幼稚園の先生からトップ営業マンになるまでとこれからについてお話を伺いました。

毎日上司に呼び出され続けた社会人1~2年目。できることが徐々に増えていき、仕事が楽しくなる。

―大濱さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

大濱:広島県にある保育科の短期大学を卒業し、幼稚園教諭として5年間勤めました。
幼稚園教諭を本格的に目指し始めたのは、高校生の頃からです。どういう道に進もうかと考えた時に、卒園した幼稚園の先生と今でもずっと連絡を取っていることに思い当たりました。卒園から続いている繋がりにとても魅力を感じたんです。そして、「人との繋がりを大切にできる、そういう出会いのある人生にしたい」と思い、教諭になるために保育科へ進みました。

―実際、教諭になられていかがでしたか?

大濱:女性の多い職場なので、怖い雰囲気なのかなと思っていたんですけど、実際は良い雰囲気の職場で保護者の方々も親切で、すごく恵まれた環境でした。一方で仕事自体は、慣れるまでの最初の1、 2年目は大変でしたね。上司である主任の先生が、ものすごく厳しかったんです。毎日呼び出され、職員会議では1人ずつ立って反省させられることも…もちろん嫌がらせというものではなく、私たちの成長を考えての指導だったのですが、そう思えるようになったのは、もっと後になってからでしたね(笑)。

そんな状況の中、同期や周りの人たちに助けてもらいながら3年が経ち、ようやく指導され続けていたこともこなせるようになっていき、自分の思い描く仕事ができるようになって、楽しく感じられるようになりました。

話しているところ

―できることが増え、お仕事が楽しくなっていったんですね! ところで、上司は具体的にはどのようなことを大濱さんに指導されていたのでしょうか。

大濱:大きくわけて2つありました。
1つは、他の人よりも先に気づき、行動することについて指導されていました。自分のことだけではなく、子どものことはもちろん、保護者、他の職員など、周りの人を見て、なるべく自分が最初に気づき、動きなさいということです。
2つ目は、見て見ぬふりをしがちになる嫌な仕事を率先しておこなうことです。
最初の1、2年は一番に行動をすることと、嫌なことから目を背けないことを特に意識していました。この2つは今でも本当に役立っていますので、当時の上司には心から感謝しています。

―どちらも意識しないとなかなかできないことですよね。
そんな大濱さんですが、その後幼稚園から保育園に移って働き始めたのはどうしてですか?

大濱:地元である広島県の幼稚園に就職したのですが、「東京に出たい」という気持ちが芽生え、その思いが段々と強くなっていったんです。自分が担任として受け持っていたクラスの園児たちが卒業したタイミングであったこと、そして私が教諭となって5年という節目だったこともあり、自分の中では「やり切った」という気持ちと共に、「新しい道に行きたい」という思いが強くなりました。

そして、東京に出てきて仕事を探しました。最初は、教諭ではない仕事に就こうと思っていたのですが、馴染みのない見知らぬ土地に慣れることも大変なので、この土地に慣れるまでは資格を活かして保育園で仕事をしようと思ったんです。
保育園での仕事は、幼稚園で学んだことを活かしながら働くことができ、スムーズに職場にも溶け込んでいけました。そしてそこで1年働いた後に大きなキャリアチェンジをしました。

ファイル

―1年で辞められたのはどうしてですか?
そして次は、どのようなお仕事に就かれたのでしょうか?

大濱:もともと上京する時には、保育関係とは違う仕事に就きたいと思っていました。また、ちょうど東京にも慣れ始めた頃でしたので、そろそろ新しい職種に挑戦してみようと思い、退職を決めたんです。
出身が広島の田舎だということもあり、東京に来てからいろいろな選択肢があり、夢が広がりました。逆に、選択肢があり過ぎて迷う部分もあり、就職活動をする前にいろいろと考えてみました。そして「人生の中で一番幸せと感じる瞬間ってどこだろう?」と考えた結果、「結婚式」が思い浮かびました。そこで、ブライダル業界へと飛び込む決意をしました。

考えに考えて見つけられた業界への転職。表面の華やかな印象とは裏腹に、見えていなかった部分の仕事の大変さを知る。

―ウエディングプランナーとして就職されたということでしょうか?
実際、ご入社されてみていかがでしたか?

大濱:入社前は「憧れていたバリバリ働くキャリアウーマンになる!」と、気合い充分でした。しかし実際入社してみると、想像していた姿とは違い、優雅さはなく、怒涛のように月日が流れていきました(苦笑)。
幼稚園や保育園でのお仕事も、もちろん忙しかったのですが、比較的自分のペースで仕事を進められていました。一方で、ウエディングプランナーはぐるぐると慌ただしく振り回されるように働いていましたね。それは私が想像していた以上に、数多くの結婚式を担当しなければいけなかったこと。そして、はじめての営業で難しさを感じたり、組織というものについても学ばなければいけなかったり、さまざまなことを一気に詰め込む必要があったためです。

たとえば営業では、毎月の売上目標に追われるということは初体験でした。中途入社だったため、社会人経験があればできるだろうということで、教育してもらう機会がなかったんですね。なので、今までにないプレッシャーを感じていましたし、他の業務でも忙しくしている中、手探りの状態で気持ちに余裕がない日々でしたね。

また、 “デスクワーク”も初めてでした。パソコンの操作であったり、稟議を通すことであったり、ほとんどが初めての経験だったので、ひとつひとつの業務に時間がかかっていましたね。ただでさえ忙しいのに、仕事が遅いせいでさらに忙しくなっていたんです(苦笑)。

2人

「保育業界の何かしらの力になりたい」という思いから、キャリアを変える決意をする。