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「自分ひとりで何でもできる」と思っていた一匹狼だった私がチームで仕事をする楽しさに目覚める。――27歳、最年少で上場企業の執行役員。

髙倉 沙希さん 20代 執行役員
株式会社フリークアウト
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2011年、京都大学農学部卒業。システムエンジニアを志し、新卒でSIerに入社する。自らが思い描いていた働き方とのギャップに悩んでいた時、株式会社フリークアウトのCOOから声がかかり、2012年に同社へ入社。オペレーションチームの立ち上げ、営業、新卒・中途採用、研修企画、機能改善、製品企画など、さまざまな分野の業務を経験する。そして2016年4月、執行役員に就任。現在は人事、総務、労務についての業務を、執行役員というポジションで担当している。
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大学卒業後、「システムエンジニアになりたい」という思いからSIerに入社。そこでは自らが望むような働き方はできなかったものの、株式会社フリークアウトにご入社され、さまざまな経験を積まれたのちに女性初の執行役員に就任された高倉さんに、お話を伺いました。

稀有な人になりたいと思ってエンジニアを目指す。

―髙倉さんの今までのキャリアについて教えてください。

髙倉:大学卒業後は「システムエンジニアになりたい」と思い、2011年に新卒でSIerに就職しました。当時は社員数1万、世界含めて2万人の大企業です。「稀有な人になりたい」と思い就職活動をしていた私は、「大学で学んだことを社会人になって生かそう」とは一切思っていませんでした。

「何をするのか」より、「誰とどういう世界を歩くか」が重要だと考えていました。なぜなら、アウトプットするものが有形商材でも無形商材でも、それを生み出す考え方は、業界関係なく何でも一緒なのかなと思っていたんです。ですから就職活動中は、Slerは新卒で入社した会社含めて2社、他はコンサルファーム、メーカー、広告など幅広く受けていました。その中で「一番希少性が高そうだ」と思ったのが「女性のエンジニア」だと思い、入社を決めました。

―入社をしてみていかがでしたか?

髙倉:ハードワークで有名な会社でしたので、入社したらかなり大変なのかと思っていたのですが、入社後の研修は非常に手厚く、また部署に配属されてからも大切に育てていただきました。時間に余裕があったこともあり、全社の広報業務にも立候補し、お手伝いさせていただいたりもしました。
このように業務外の仕事も経験させていただいたものの、やはり「もっとがむしゃらに仕事がしたい」と思った私は、入社して10ヶ月後に退職する決断に至りました。

話しているところ

1年未満での早期退職。ベンチャー企業へ入社を決める。

―1年目の12月にキャリアを変える決断をされたということですが、どういうことが決断の決め手になったんですか?

髙倉:なりたい自分像に向けて、焦っていたんです。
私がアサインされた開発チームのリーダーが31歳の女性と35歳の課長で、すごく仕事もでき、会社の中ではかなり早い段階で出世している方々でした。マネジメントも上手でチームにも結束力があり、「こんな先輩みたいになりたい。かっこいいな」と憧れていました。その当時、私はまだ23歳。単純に年だけで計算すると、かっこよく仕事をするポジションになるまでにあと8年かかる、と考えたときに、個人的にはとても長く感じました。もっと早く成長したいと思ったんです。

先輩たちのようになるために、人一倍多くの経験をして早く成長したいと思いました。そしてちょうどそのタイミングで、フリークアウトのCOOから声をかけていただきました。当時はまだ10名規模のフリークアウトでしたが、これから市場を作っていくという未知のチャレンジや最先端の技術に惹かれ、入社する意志を固めました。1年未満でキャリアチェンジすることになったことが会社に申し訳ないという気持ちもありましたが、その分、新天地で頑張ろうという決意を胸に入社しました。

市場に認知されていないものを扱うことの不安。

―1万人の社員を抱えるような大手企業から、社員数10名のベンチャー企業にご入社されることに不安はありませんでしたか?

髙倉:前の会社でも、最初は10人スタートの事業に関わっていたということもあったので、規模が小さいからという不安はなかったです。ただ、今でこそ知られていますが、扱う商材が『DSP』という、当時の市場では全く知られていないものという点では不安がありましたね。そもそもその商材が必要とされているのか、今後どのように展開されていくのかなどが、入社当初は全く掴めていなかったんです。そのため、“市場でのポジショニングをこれから取りに行く”という、前の会社と全く違う雰囲気、仕事内容に多少なりとも不安を感じてはいました。

エンジニアから営業職にキャリアチェンジ。

―ご入社されて、最初はセールス業務がメインだったのですか?

髙倉:最初に声かけていただいた時は、「新卒採用を始めるので人事をお願いしたい」ということで入社して、3日目から新卒採用の業務をおこなっていました。ただ、私自身広告業界は初めてでしたので、人事の業務をおこなう上で広告業界についても知っておかなくてはいけないと思い、最初は代理店営業をすることになりました。その後は営業から広告運用業務にシフトし、結局人事に戻ることはありませんでした。

―エンジニアから代理店営業へキャリアチェンジをされたということですが、全く違う仕事をされる中で、壁にぶつかることはありませんでしたか?

髙倉:そうですね。広告業界ならではの謎の単語がすごく多かったので、まずそれをインプットするのが大変でした。また、その当時DSPは世の中にも知られていなかったので、パートナー様への対応が大変でしたね。
しかし、比較的新しいことに挑戦しようとする業界でもあったので、営業をやったことがない私でもがんばり次第で少しずつ受注金額を伸ばすことができ、自分が開拓したパートナー様や売り上げが増えていくことが楽しかったです。

入社したタイミングがまさに繁忙期ということもあり、最初からオペレーション業務もクリエイティブ作成業務も自分で全ておこなわなければならず、あらゆる業務に携わっていました。毎日が忙しくて、自分の中ではお祭り騒ぎでしたね(笑)。そうした忙しい毎日で大変な時もありましたが、仕事自体に苦戦して嫌になることはなかったですね。

初めての挫折。できない人の気持ちを理解できない自分に悩む日々。

―なるほど! 初めての営業でその状況はすばらしいですね!
その後も苦戦されることなく現在に至っているのですか?

髙倉:正直、苦戦したことはありましたね。
営業の時に所属していたチーム内で、うまくいかなかった経験があります。自分の営業数字の目標を持ちながら、チームの目標数字達成に向けた打ち手を考えました。それをチーム全員で実行しようとしたのですが、全くうまくいきませんでした。
チームメンバーが誰も指示通り仕事をしてくれなかったんです。「自分は、自分が正しいと考える道に沿ってやってきているけど、それをみんなが正しいと思ってくれていない」という違和感がありました。逆に「みんなが正しいと思う道はどこなのか」も全くわからなかったんです。

先輩や周りの人に言われたのは、「髙倉は人の気持ちが本当に分かっていない」、「髙倉のやり方を分からない奴の気持ちになれ」とずっと言われていました。でもその意味が、よく分からなかったんです。そのような期間が約2年続き、すごく落ち込んでいる中で、ある出来事が起きました。

「髙倉と同じチームで仕事をするのは嫌です」と言われ、自分のチームを持てなかった経験。