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常に5年後、10年後を考えながら築いてきたキャリア。状況によって歩み方を変えながら、仕事にも家庭にも常に最善を尽くせるように心がけ、未来を描く女性社長。

鯉渕 美穂さん  30代 代表取締役社長
MIKAWAYA21株式会社
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大学卒業後、大手コンサルティング会社に入社し、5年間勤務。結婚を機にバックオフィスへの転職を経て、さらに人材育成ベンチャー企業であるアルー株式会社に転職。マーケティング、営業としてのキャリアを積んだ後、海外現地法人の責任者として支社設立。2014年、第一子の出産前に起業のため退職し、MIKAWAYA21の代表取締役社長に就任。
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常に5年後、10年後の未来図を描きながら、その時に「最適だ」と納得できるキャリアを選択することを意識していらっしゃるという鯉渕さん。今では1児のママでもあり、社長業と家庭を両立されている鯉渕さんの、今までのキャリアとこれからについてお伺いしました。

学生の頃の経験が、自分のキャリアをスタートさせるきっかけとなる。

―本日はよろしくお願い致します!
早速ですが、鯉渕さんのキャリアについて教えていただけますか?

鯉渕:私のキャリアのスタートは、中高生時代まで遡ります。中高一貫の女子校だったのですが、中学1年生から高校2年生まで、毎年文化祭の実行委員をやっており、高校2年生の時に受付まわりの業務を仕切ることになったのです。

その際「年々上がっているパンフレット制作の予算を削りたい」という先生方の課題を聞いた私は、何とかしたいという思いで印刷会社の行き、コストを抑えるための改善策を伺いました。その方法は、“紙の質を下げる”ことと“色の数を抑える”ことでした。そこで、デザイン公募の際に使用する色数を3色に限定したり、パンフレットに載せる広告枠を増やす工夫をしたりして、80万円以上かかっていた制作コストを、75万円程度まで下げることができたのです。そこでの達成感と、課題解決のために試行錯誤した日々が今の原体験になっています。

―学生でそこまで立ち回ることができるのは凄いことですね!そのご経験は、どのようにして鯉渕さんのキャリアに繋がったのですか?

鯉渕:まずはその後の進路に大きな影響を与えました。大学受験を考え始めた頃は、化学系の学部に進学することを考えていたのですが、この文化祭の経験がどうしても脳裏に残っていたのです。そして、「“何かを変えることで、インパクトを与えられる”ということを、将来的に実現できる仕事とはなんだろう」と考えた時、「“経営”ではないか」と閃きました。もともと理系科目が好きであったこともあり、 “理系の知識を活かしながら、企業経営が学ぶことができる”東京理科大学の経営工学科に進学することを決めました。

就職活動の時は、「30歳まで思い切り働き、その後は専業主婦になろう」と思っていました。そのため、“激務だけれども経営に携われる”コンサルティング会社が一番合っているのではと思ったんです。そこで、3年生の冬にあるコンサルティング会社のインターンに申し込み、実際に働いてみました。その経験を経て、やはりこれが自分の目指しているものであると確信したため、新卒では大手コンサル会社に入社を決めました。

とにかく前向きに、ひたすら仕事に没頭した20代。

―コンサルティングの会社はかなりのハードワークというイメージがありますが、いかがでしたか?

鯉渕:そうですね、数年で辞めていく人も少なくなかったですね。ただ「30歳までは思い切り働こう」と決め、自分の納得がいくまで考えて選択した道だったので、何があっても「5年間は続けよう」と思っていました。

また、学生時代から「“社会人としての自分”、“家庭人としての自分”、“女性としての自分”。それぞれ成長していけるような人生を歩みたい」とも考えていました。それら3つを同時に満たすのは難しいけれど、その時々の状況や環境に応じて優先順位が変わったとしても、全体的なバランスが取れていれば良いなと。なので、「20代だからこそ“社会人としての自分”を成長させることに没頭してもいいのでは?」と思えたことで、ハードワークも乗り越えられた気がします。

プロジェクトのカットオーバーの時期は、明け方にタクシーで帰宅し、シャワーと着替えだけして再び9時出社ということもありましたね。男性陣はそのまま泊まりということもありましたが、そこは女性として自分もちょっとがんばっていた気がします(笑)。

話しているところ

「30歳で専業主婦」という目標が生まれたのは、育ててくれた親への感謝の気持ちと尊敬の想いからだった。

―なぜ、「30歳で専業主婦」という目標を立てていたのですか?

鯉渕:自分が親になった時、子どもとしっかり向き合いながら育てていきたいと思っていたからです。
今の自分があるのは、幼い頃にたくさんの経験をさせてくれたことで、人生の選択肢を広げてくれた両親のお蔭だと思っています。その経験があったからこそ、「失敗してもいいからさまざまなことにチャレンジしてみよう」と思えるようになりました。なので、自分が親になった時も同じように子どもを育てたいと考え、専業主婦だった母に理想を重ねて、私も30歳で専業主婦に、と考えていたんです。

社会と関わることが好きな自分を、仕事を通じて再認識することで、ベンチャーへのキャリアチェンジへと繋がった。

―素敵なご両親に育てていただいたのですね! 30歳で専業主婦にならず、ベンチャーへ転職されたのはどうしてですか?

鯉渕:28歳で結婚し、家庭と将来のことを考えた上で、資格取得を目指しました。その勉強も兼ねて、9~17時で働けるコンサル部門のサポート業務に転職し、ちょうど2年たったタイミングで30歳になりました。サポート業務に携わることで、仕事の仕組みへの理解が深まると共に、仕事を通じて社会とかかわっていくことが好きな自分を再認識することができました。その経験から、仕事は自分の人生の一部として今後も続けていきたいと考えるようになったんです。

その時はまだ子どもおらず、「子どもがいないうちはもっと思い切ってチャレンジしたい」と思うようになりました。そこで、出来上がった仕組みの中で働くのではなく、自分も一緒に仕組みを作りながら、任せてもらえる仕事の範囲も大きいベンチャー企業に絞って、転職活動を始めました。ちょうどその時、中高時代からの友人が起業した人材育成コンサルティング事業をおこなっているベンチャー企業にご縁があり、転職する運びとなったんです。

入社当初は、広告出稿や、市場調査レポートなどのマーケティングを担当していました。そのうち、その先にあるサービス開発や提供までの流れを自分でも体験したいと思うようになり、その旨を上司に相談したところ、営業とサービス開発までを経験させていただくことができたんです。
バックオフィスと営業、そして商品開発について経験できたことで、組織内で起こる問題をそれぞれの立場で考えることができるようになったことは、いい経験になっていますね。

キャリアアップか家族か…その先にあったのは、“どちらも諦めない”という結論

―マーケティング担当から営業職へのキャリアチェンジというもの非常に珍しいですね。その後も営業としてキャリアを積まれたのですか?

鯉渕:そうですね。法人向けの研修プログラムの営業職でしたが、自分自身も研修講師として登壇したりもしていました。人事担当者だけでなく、その受講生の声にも直接触れることで、サービスのその先にどのようなインパクトを残したいかをより意識するようになったと思います。

営業職に異動して間もなく、研修業界では “グローバル人材”の取り入れが課題になっていました。海外でも働ける人材育成のために、英語を取り入れた研修をおこなったり、社員を海外に数週間派遣して経験を積んでもらったり、というものです。そのため、私もグローバル案件を受け持つことが増えたことで、自分も海外での経験を積みたいと思うようになっていきました。
またその頃、自分のキャリアについて以外にも、「子どもが欲しい」ということについても悩んでいました。当時の私は34歳で、あと1年で高齢出産となるタイミングでした。

しかし、少しでも早く子供を授かれるような治療に専念するかどうするかを考えた時に、もし専念しても結果がわからないのであれば、5年間ブランクがあっても復帰できるだけのキャリアを、この1〜2年で築こうと考えたんです。そこで、MBA取得を視野に入れて会社に休職の相談をしたところ、シンガポール支社の立ち上げのお話をいただきました。そのことを主人に相談したところ「MBAよりも実務経験を積むほうがいいと思うので、応援するよ」と背中を押してくれたので、シンガポールに赴任することにしました。

支社立ち上げのために渡ったシンガポールで、自分の人生の選択肢と向き合った。

―ご自身の“今”と“未来”を考え、道を選択していくお姿が本当に素晴らしいですね! その後シンガポールでの生活はどれくらい続いたのですか?

鯉渕:シンガポールに渡って1ヶ月後、ちょうど支社立ち上げを進めている頃のことです。今でも鮮明に覚えていますが、土曜日にちょうどランチに出かけようとしている時に、父が倒れたと母から電話がありました。その日の深夜便で日本に帰国し、対面した父は集中治療室で横たわっていました。そして約3ヶ月程、集中治療室で過ごすことになったんです。

まだ支社立ち上げも準備段階であったことから、会社からは後任者を送ろうかとの打診もしてくださいましたが、最終的に私はシンガポールに残ることを決めました。子供のこと、そしてキャリアのことを納得いくまで話し合って決めた単身赴任であり、そして快く送り出してくれた主人への感謝の思いから、人生の中でこんなチャンスは二度とないと思い、留まることを決意したんです。もちろん父のことは心配で、その後しばらくは毎週金曜日の深夜便で日本に帰り、月曜早朝にシンガポールに戻るという生活を続けました。そして支社立ち上げから事業も軌道にのってきたタイミングで、父のことや家族のことも考え帰国することになりました。

授かった我が子の「命の重み」や「生きていること」への感謝

―お父様のこと、大変でしたね…。帰国後の生活はどのようなものだったのですか?

鯉渕:帰国後は語学に関する新規事業立ち上げに携わることになりました。年齢的なこともあり子供のことと仕事の両立を考えて会社に相談したところ、役割や役職はそのままで週4日勤務という新たな雇用形態を作ってもらうことができました。はじめは、両立するためには仕事を辞めるか、派遣会社などへの転職も考えたりもしましたが、一歩踏み出してみることで道は拓けることを実感した出来事でした。

その後、無事に子供を授かりましたが、それまでの経験から「無事に産まれ、今も健康に生きていることの奇跡」を強く感じるようになり、「今生きていることに感謝し、自分の人生は自分で最高のものにするしかない」と考えるようになりました。さらに、自分の子どもとの時間をより大切に過ごしていきたいと思い、仕事と両立できる方法はないかと考えました。その結果、「子育てとバランスを取りながら働くためには経営者になる」という選択肢にたどり着いたため、それまでの会社を退職し、起業することにしました。

仕事も子育ても大切にしたいからこそ思い立った『経営者』への道。その後は、起業~社長就任~出産…と、数々の“諦めない”を実現した。

―起業とは非常に思い切った選択ですね! その後はどうされたのですか?

鯉渕:出産予定が12月だったので、準備期間も考え妊娠7ヶ月で退職と同時に起業しました。
その直後に、シンガポール時代の友人であった現在のMIKAWAYA21のメンバーから「社長にならないか」と声をかけていただいたんです。そして「1人よりチームや組織でやったほうがおもしろいのでは」と思い、考えた末に社長をお引き受けすることにしました。

実際には、子供が無事に生まれてくるかも分からず、育児も仕事もどちらも片手間ではできないのではないかなどの不安もありましたが、案ずるより産むが易しと言うように、「やってみないと分からないのであれば、チャレンジしてみよう」と思い、出産3ヶ月前に決意しました。社長就任は2ヶ月前の10月でしたので、陣痛中も仕事をしていましたね(笑)。

陣痛
※陣痛中もお仕事をしていた時の写真

―出産2ヶ月前に社長に就任するなんて凄いですね! 
そんな鯉渕さんのターニングポイントを教えてください。

鯉渕:「この先どんな世界が広がっているのかしら」という好奇心が強いからこその行動だと思います。
ターニングポイントは、シンガポールへの単身赴任ですね。その時に、自分と家族の将来についてよく家族と話し合ったり、友人にもたくさん相談したりしました。「これだ」と決めた選択でも、人生は不確実なもので想定通りにいかないこともありますが、その時々で自分が最善だと思う選択を繰り返していくことで、止まらずに一歩ずつ自分の人生を幸せに導くことができるのではないかと思います。

―その時々に自分が最善だと思う選択をするというのは、とても難しいことですよね。さまざまなご経験を積んでこられた鯉渕さんの座右の銘を教えてください。

鯉渕:『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉を意識しています。私の『美穂』という名前の由来でもあります。
社会人経験を重ねていくと、自分のキャリアや、経験からの発想、選択に偏りがちになります。そのため、いろいろな方々から意見やアドバイスをいただくように意識しています。世の中にはたくさんの知見を持った人がいますし、また、自分より年次が若い人でも、自分が経験したことのない人生を送っていて、自分が知らない世界を必ず知っています。「自分が知らない世界を知りたい」という好奇心ももちろんありますが、いつまでも貪欲に、そして謙虚に「教えてほしい」と言える人でありたいなと思っています。

人との繋がりを大切にすることで、自らの人生の選択肢を広げることも可能になる。

―さまざまなキャリアや経験を積まれてきた鯉渕さんですが、後輩に伝えてあげたいと思う「20代のうちにやっておくべきこと」を教えてください。

鯉渕:自分の人生をより豊かにするために、自分の知識や経験を広げていくことをおすすめします。例えば、本を読んだり、勉強したり、あとはとにかくたくさんの人とのネットワークを広げておくことで、一人で歩んできた人生以上の経験を積むことができると思います。

というのは、人生は選択の連続ですが、最終的に決めるのは自分。その時に、いかに納得感をもって決断できるかが大事です。その際にいろいろな情報を得るために必要なのは、やはりさまざまな人との繋がりだと思います。

また、悩んだ時に相談できる人がいることも大切ですね。「相談したいな」と思った時に、「あの人はしばらく連絡を取っていないから申し訳ない…」と躊躇せず、思い切って自分から一歩踏み出して連絡を取ったり誘ってみたりすると、「実は私も連絡しようと思っていて…」なんて喜んでもらえたりしますよ。

ロゴ前

最初の目標値は満足レベル。そこからのブラッシュアップで、いかに感動レベルにできるが大事。

―鯉渕さんの、仕事のコツや技がありましたら教えてください。

鯉渕:心配性なので、最初に相手が求めるレベルを満たす「満足レベル」までは一気に仕上げます。その後「感動レベル」に時間を費やすようにします。資料作成でいうと、枠組みや埋めるべき項目などは最初に終えてしまって、その後に「どうやったら効果的に伝わるか」、「他にどんな情報があるといいのか」などを考えていくイメージです。一見完成している資料なども、後から「もっとこうしたらよくなるのでは?」と改良を重ねている時が、自分的には一番気持ちが盛り上がってたりするので、一緒に仕事する人は大変かもしれませんね(笑)。

ちなみに、前職の上司から「のってくると仕事し続けてしまうので、ちゃんとご飯を食べてください」とフィードバックされたこともありました。

―それは心配になりますね!(笑)
仕事で落ち込んだ時や悩んでいる時にやっていることはありますか?

鯉渕:楽しいことや未来のことを意識的に考えるようにします。子どもと遊んだり、今度はどこに旅行に行こうか考えたりですね。限られた人生の時間なので、ネガティブなことを考えているより、そういう時間の使い方をしたいなと思っています。

とはいえ、人に聞いてもらうことでスッキリすることもあるので、そんな時は友人や主人に相談するとも多いですね。特に主人とは、家族についてだけでなく、趣味や仕事のことなどいろいろな話をするので、気持ちの切り替えを上手にしてもらっていると思います。

仕事にもプライベートにも限界値なんて、ない。これからも、今ある大切なものを守りながら、新しい世界を切り拓いていきたい。

―ありがとうございます。
では最後に、今後のご自身のキャリアプランについて教えてください。

鯉渕:学生時代から変わらず、企業や社会の10年後、20年後にインパクトを与えていきたいと思っています。今の事業を大切に育てながら、経験や知識を得て、将来的には引き続き事業経営に携わっていきたいと思っています。そのようなお仕事を通じて社会との関わりを持つことで、社会人としても、家庭人としても、女性としても、限界を作らずに人として豊かに成長していけたらと思っています。